今は11時40分。
3年前の約3時間後に東北地方太平洋沖地震が起きました。
3年前の10日は日をまたいで「気に届け」最終回の原画をやっていました。
他にイラストの仕事もあって、スタジオカラーで原画を、自宅でイラストを、という感じでした。
夜型で明るくなってから寝るのはいつものことでしたから特に頑張ってたとかではないんですが、原画作業はアップ日までにどうにか終わりそうな残り数になって少しホッとしてベッドに入った記憶があります。すでに世の中は活動している時間だった。
最近は三陸沖の余震や福島浜通りの地震もかなり減っています。
茨城県沖から東京北部も今年に入っては揺れてないように思います。
でも、油断はできません。
あんな地震が来るとはまったく想像できなかったのですから。
首都直下型地震や東海、東南海地震は30年以内に70%の確率で起こると言われています。
個人で備えられることなら何とでも準備できますが、自治体や国家レベルの備えは政府が動いてくれないとどうにもなりません。
東北の復興に人手不足や機材不足があり、価格が高騰してインフレ状態にあると言われます。
需要に供給が追いつかないのです。
これを是正できるのは民間や市場ではなく国家、政府です。
もう3年経ちますが、すぐにでも事業を起こせるように、短期でなく中長期視点の予算を組んで人や機材を増やせる土壌を作って頂かなくてはいけないと思います。そうしないとデフレ下では民間はついていけません。
原発事故…
拡散した放射性物質が高濃度で堆積し除染しないと住めない場所はあると思います。
しかし、20km圏内の多くのの地域は人が住んで問題ないレベルだという専門家の意見があります。
水素爆発の直後、高線量率の放射線で急性障害を起こした人は出ていません。
放射性物質は拡散した時点から薄まって半減期の短い核種から消滅していきます。
最初に問題になるのといわれるがヨウ素131による被曝でした。
心配された甲状腺癌は今のところ見つかっていません。
福島でのスクリーニング(詳細な検査)で見つかった甲状腺肥大は、その後ほかの県での同様の検査で同程度、或いは福島以上の数見つかっているので原発事故との関連性は考えにくいことがわかります。一般の身体検査レベルで見つからない肥大がスクリーニングでみつかった、ということだと思われるわけです。このレベルだとほとんどは癌に至らずに消えるのだそうだ。
直後の急性被害がない。その後の甲状腺被曝も心配なさそう。となると、ここから数年後に健康被害が出てくることは科学的にあり得ないのではないか?と思えます。
例えば、です。
川のある地点で猛毒が流された。
2m下流で中毒死者が出た。
10m下流で重病。
50m下流で腹痛。
100m先では異常なし。
さて、2m下流で腹痛すらおぼえる人がない状況では50m下流で死者や病人が出ると考えられますか?
…
震災の年の夏頃にも同じようなことをTwitterでつぶやきました。群大の先生がまとめて下さいましたが、今でもこの考えを訂正しなくてはいけない結果は出ていません。
つまり
福島のほとんどの避難区域は、帰宅して先祖代々の家業を再開し、農作物や畜産や漁業を再興し、ボクらはその実りを頂ける状況ではないのか? と。
「20km圏内浪江町の牛たちは元気に生きています」(←放射線防護情報センター)
避難指示の解除が進んでいますが、3年放置された町はそのまま住めません。
補修や建替えを国家が予算を組み、責任をもって進めないと帰りたくても帰れません。環境づくりが必要ですね。
それにしても遅い。
福島第一原発事故での被害は、当初の緊急回避モードを見直さずに今まで放置しているのが一番大きかったのではないか。
それが風評被害を呼び、受けなくても良い被害を受けさせることになったのではないか。
避難生活や家業を再開できない絶望から寿命を短くしてしまった方々を出してしまったのではないか。
放射性物質による被害でなく、人災だ。
政治家や東電だけでなく多くの一般人も加担してるんじゃないでしょうか。
…もう3年です。
もう、いい加減改めましょうよ。
地震と津波で2万4千人を超える方々が亡くなり、2600人以上行方不明の方がいる。
原発云々で…
亡くなった方々と遺族の皆さんの気持が蔑ろになってしまうこと。
東北全体の復興の必要性が国民全体に共有されないこと。
震災は東京も東海も関西も、日本全国ぜんぜん他人事ではないこと。
…様々な大事なことが、根拠なき原発云々の大声でかき消されることの方が大問題ではないですか?
一時の防災でなく、長期的な強靭化にまで想像力を働かせるのは一般的には難しいかもしれません。
どんなに防災工事をやっても被害はゼロにはできません。
しかし、やり続けないといけない土地にボクらは生きていて、将来の世代もそうやって生き続けるのです。
生活の知恵や技術を常に磨いていかないと生きていけない土地に生きているのです。
まったく想像できないことに、よりマシな対応をするために、継承しないといけない。
厳しい環境が日本の豊かな文化を育ててきたとも言えるかもしれない。
そんな風に言えるのはやるべきことをやっていればこそ、だろうと思います。
…
自分の主観的な考えが、客観的、道徳的に見て正しく、役に立つといえるのか?
格率を問い続けることが、今日という日を迎える意味なのではないか。
まったくまとまりません。
きれいにまとめるのなんて無理です。
先に進まねば。
3年前の約3時間後に東北地方太平洋沖地震が起きました。
3年前の10日は日をまたいで「気に届け」最終回の原画をやっていました。
他にイラストの仕事もあって、スタジオカラーで原画を、自宅でイラストを、という感じでした。
夜型で明るくなってから寝るのはいつものことでしたから特に頑張ってたとかではないんですが、原画作業はアップ日までにどうにか終わりそうな残り数になって少しホッとしてベッドに入った記憶があります。すでに世の中は活動している時間だった。
最近は三陸沖の余震や福島浜通りの地震もかなり減っています。
茨城県沖から東京北部も今年に入っては揺れてないように思います。
でも、油断はできません。
あんな地震が来るとはまったく想像できなかったのですから。
首都直下型地震や東海、東南海地震は30年以内に70%の確率で起こると言われています。
個人で備えられることなら何とでも準備できますが、自治体や国家レベルの備えは政府が動いてくれないとどうにもなりません。
東北の復興に人手不足や機材不足があり、価格が高騰してインフレ状態にあると言われます。
需要に供給が追いつかないのです。
これを是正できるのは民間や市場ではなく国家、政府です。
もう3年経ちますが、すぐにでも事業を起こせるように、短期でなく中長期視点の予算を組んで人や機材を増やせる土壌を作って頂かなくてはいけないと思います。そうしないとデフレ下では民間はついていけません。
原発事故…
拡散した放射性物質が高濃度で堆積し除染しないと住めない場所はあると思います。
しかし、20km圏内の多くのの地域は人が住んで問題ないレベルだという専門家の意見があります。
水素爆発の直後、高線量率の放射線で急性障害を起こした人は出ていません。
放射性物質は拡散した時点から薄まって半減期の短い核種から消滅していきます。
最初に問題になるのといわれるがヨウ素131による被曝でした。
心配された甲状腺癌は今のところ見つかっていません。
福島でのスクリーニング(詳細な検査)で見つかった甲状腺肥大は、その後ほかの県での同様の検査で同程度、或いは福島以上の数見つかっているので原発事故との関連性は考えにくいことがわかります。一般の身体検査レベルで見つからない肥大がスクリーニングでみつかった、ということだと思われるわけです。このレベルだとほとんどは癌に至らずに消えるのだそうだ。
直後の急性被害がない。その後の甲状腺被曝も心配なさそう。となると、ここから数年後に健康被害が出てくることは科学的にあり得ないのではないか?と思えます。
例えば、です。
川のある地点で猛毒が流された。
2m下流で中毒死者が出た。
10m下流で重病。
50m下流で腹痛。
100m先では異常なし。
さて、2m下流で腹痛すらおぼえる人がない状況では50m下流で死者や病人が出ると考えられますか?
…
震災の年の夏頃にも同じようなことをTwitterでつぶやきました。群大の先生がまとめて下さいましたが、今でもこの考えを訂正しなくてはいけない結果は出ていません。
つまり
福島のほとんどの避難区域は、帰宅して先祖代々の家業を再開し、農作物や畜産や漁業を再興し、ボクらはその実りを頂ける状況ではないのか? と。
「20km圏内浪江町の牛たちは元気に生きています」(←放射線防護情報センター)
避難指示の解除が進んでいますが、3年放置された町はそのまま住めません。
補修や建替えを国家が予算を組み、責任をもって進めないと帰りたくても帰れません。環境づくりが必要ですね。
それにしても遅い。
福島第一原発事故での被害は、当初の緊急回避モードを見直さずに今まで放置しているのが一番大きかったのではないか。
それが風評被害を呼び、受けなくても良い被害を受けさせることになったのではないか。
避難生活や家業を再開できない絶望から寿命を短くしてしまった方々を出してしまったのではないか。
放射性物質による被害でなく、人災だ。
政治家や東電だけでなく多くの一般人も加担してるんじゃないでしょうか。
…もう3年です。
もう、いい加減改めましょうよ。
地震と津波で2万4千人を超える方々が亡くなり、2600人以上行方不明の方がいる。
原発云々で…
亡くなった方々と遺族の皆さんの気持が蔑ろになってしまうこと。
東北全体の復興の必要性が国民全体に共有されないこと。
震災は東京も東海も関西も、日本全国ぜんぜん他人事ではないこと。
…様々な大事なことが、根拠なき原発云々の大声でかき消されることの方が大問題ではないですか?
一時の防災でなく、長期的な強靭化にまで想像力を働かせるのは一般的には難しいかもしれません。
どんなに防災工事をやっても被害はゼロにはできません。
しかし、やり続けないといけない土地にボクらは生きていて、将来の世代もそうやって生き続けるのです。
生活の知恵や技術を常に磨いていかないと生きていけない土地に生きているのです。
まったく想像できないことに、よりマシな対応をするために、継承しないといけない。
厳しい環境が日本の豊かな文化を育ててきたとも言えるかもしれない。
そんな風に言えるのはやるべきことをやっていればこそ、だろうと思います。
…
自分の主観的な考えが、客観的、道徳的に見て正しく、役に立つといえるのか?
格率を問い続けることが、今日という日を迎える意味なのではないか。
まったくまとまりません。
きれいにまとめるのなんて無理です。
先に進まねば。
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ジョゼッペ・トルナトーレ監督の「明日を夢見て」
時々思い出すことがあって観直したいと思いつつ重い内容に二の足を踏んでいたんだけど、先日購入。しばらく放ってあったのを今日観ました。
やっぱり、ずっしり来ますわ。これ。 ううう…
劇場公開された時に加瀬さんと一緒に観に行って二人とも帰りは無言だった。
たぶんそれ以来、18年ぶりの再会。
観た当時は、映画作りって罪深いものなんだなぁ…という感じ。自分も近い仕事にいる関係で時々思い出しては「映画作りは人を騙して儲ける罪深い仕事なのだ」という負の感傷を勝手に膨らませたりしたものだけども。
観直してみると、それが思ったより間違ってなかった。一方で、まったく間違ってたとも言える。
真実はフィルムに映らないという…映画人にとって…絶望的な現実と、だからこそ作り続けるのだという、なんとも言えない感覚があった。
カンヌ国際映画祭審査員特別賞、アカデミー賞外国語映画賞をとった「ニュー・シネマ・パラダイス」の後、トルナトーレ監督が何を思ったのか。
映画は、現実の一部も切り取れない。真実など映せない。夢の様な明るい未来も客電が付けば消えてしまう。
生の人生で起こることに欠片ほどの影響も及ぼすことなんて出来ない。
映画の作り手にできる事なんて、どうってことはないのだ。
…そこから始めなければ。
そう思わせてくれるのも、映画だ。
時々思い出すことがあって観直したいと思いつつ重い内容に二の足を踏んでいたんだけど、先日購入。しばらく放ってあったのを今日観ました。
やっぱり、ずっしり来ますわ。これ。 ううう…
劇場公開された時に加瀬さんと一緒に観に行って二人とも帰りは無言だった。
たぶんそれ以来、18年ぶりの再会。
観た当時は、映画作りって罪深いものなんだなぁ…という感じ。自分も近い仕事にいる関係で時々思い出しては「映画作りは人を騙して儲ける罪深い仕事なのだ」という負の感傷を勝手に膨らませたりしたものだけども。
観直してみると、それが思ったより間違ってなかった。一方で、まったく間違ってたとも言える。
真実はフィルムに映らないという…映画人にとって…絶望的な現実と、だからこそ作り続けるのだという、なんとも言えない感覚があった。
カンヌ国際映画祭審査員特別賞、アカデミー賞外国語映画賞をとった「ニュー・シネマ・パラダイス」の後、トルナトーレ監督が何を思ったのか。
映画は、現実の一部も切り取れない。真実など映せない。夢の様な明るい未来も客電が付けば消えてしまう。
生の人生で起こることに欠片ほどの影響も及ぼすことなんて出来ない。
映画の作り手にできる事なんて、どうってことはないのだ。
…そこから始めなければ。
そう思わせてくれるのも、映画だ。
![]() | 明日を夢見て [DVD] (2011/07/22) セルジオ・カステリット、ティツィアーナ・ロダト 他 商品詳細を見る |
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ヒッチコック監督作品「泥棒成金」1955年。
Blu-rayで久しぶりに観ました。映像も音もクリアになっていてなかなか良いです。
南仏ニースの美しい景色。イーディス・ヘッドの素敵な衣装。ヒッチコック初のビスタビジョンによる堂々たるレイアウト(画面構成)。
そしてなんと言ってもグレース・ケリーの美しさを映像で定着するために作られた、と言っても過言でないくらい、本当に美しく撮られています。
脇を固める俳優も個性派で楽しい。
グレース演じるフランシーの母役、ジェシー・ロイス・ランディスは、「北北西に進路を取れ」でケーリー・グラントの母役を。
保険会社員のジョン・ウィリアムスは、「ダイヤルMを廻せ!」のとぼけた警部役でヒッチコック映画に独特の味わいを与えています。
主演はケーリー・グラントで、ヒッチコック映画の常連です。
40年台から50年台のヒッチコックはアクションの多いサスペンスやコミカルさが要求される時はケーリー・グラントを、心情や人間味が要求される場合は好対象のジェームス・スチュワートを起用しています。
「泥棒成金」は南仏のニース周辺の美しい自然や街並みが主人公と言って良いくらいで、特にこれといったテーマもなく、コミカルな観光映画といった体です。
トリュフォーとの対談本『映画術』の本映画の項目では「軽い話だからね」と評して、女性の好みの話がほとんどでした。
テーマらしいテーマがなく、あまりにも普通に、自然体で、肩の力の抜けた映画なために、あまり論じる必要性を感じないのかもしれません。
そのような映画ほど「ヒッチコックらしい」映画であり、「ハリーの災難」には敵いませんが「泥棒成金」も純粋に映画的な一本だと思います。
洗練された演出技術
人物が置かれている状況や心情を台詞などの説明に頼らずに的確に演出するのがヒッチコックの特徴です。
この映画は以下のように始まります。
・次々と起こる宝石盗難事件
・その犯行はかつての大泥棒「キャット」と酷似。引退生活を送る「キャット」ことジョン・ロビー登場
・警察の捜査が始まり、ジョン・ロビーのもとに刑事たちが来る
・猫騙しのような作戦で刑事たちを煙に巻く
・かつてのレジスタンス仲間が経営するレストランを訪れ、仲間たちに泥棒は自分ではない誰かの仕業だと説明する
途中の刑事たちの短い会話以外は台詞は伴奏音楽か効果音のような扱いで、音がなくても何が起こっているかわかるサイレント映画のようです。
台詞はレストラン経営者でかつての仲間だったベルタニとの会話が最初になりますが、ここで台詞と映像のズレを利用した心理表現が見られます。
このシーンのジョンの台詞は「キャット」と似た手口の犯行で自分が疑われ、かつての仲間からも猜疑の眼を向けられている怒り、真犯人を見つけてやるという勇んだ心情であふれているように聞こえます。
しかし、冷淡なベルタニの反応で一見勇ましいジョンが追い詰められているように見えてきます。
台詞と観た印象のズレによって、それぞれの単独では表現されない「何か」が観る人の心に現れます。
音楽で言えば、対位法…ポリフォニックな表現ですね。
これは主に台詞に対する映像のアングルと芝居の対比によって表現されています。
このシーンは仲間たちをおちょくる余裕を見せたあと、ジョンをアオリ気味で捉えるレイアウトで始まります。
怒りを露わにするジョンに対してベルタニの方は椅子に座って冷淡なツッコミを入れるのみ。
会話が噛み合わずジョンに落ち着きがなくなるとカメラは上方からのフカン気味へと切り返すごとに変化していきます。
アオリとフカンの心理的効果はどういうものでしょうか?
人物(建物でもそうですが)を下から仰ぎ見る「アオリ」で撮ると堂々として見えますよね。2者の対比ではアオリで撮られた人物のほうが上位になっている印象になります。
上から見下ろす「フカン」ではその逆に撮られた人物が下位の立場に見えます。
ジョンがフカンで撮られるにしたがって言葉の強さとはうらはらに「ただ強がっているだけ」の印象になり、逆にアオリで撮られるベルタニは大したことを言っていないにもかかわらず「すべてを知っている」ように見えてきます。
このように、台詞(音響)と映像の心理的効果を利用した対位法的演出によって、映画を観る人の「心の動き」を自在に操るのがヒッチコック演出の真骨頂と言えましょう。
「泥棒成金」は数々のサスペンス映画で培われ洗練された「語り口」を楽しむ古典落語のような味わいに達しているのです。
こういうシーンでは台詞の中に心情を説明する言葉を付加したくなります。
そうすればテキスト的には饒舌になるのですが、映画としてのおもしろさは文学とは違いますから、音響と映像の総合的効果を十分使わなければ真に映画的とは言えないのではないかと考えます。
ジョン・マイケル・ヘイズの洒落た台詞もこの映画の魅力です。
台詞と映像の対位法的な演出だけでなく協奏するところもある、そのバランスも非常に洗練されています。
グレース・ケリー
彼女はこの映画のロケで訪れたモナコ公国でレーニエ3世に見初められ公妃となります。
日本文化を好みモナコに日本式の庭園を造園するよう希望していたそうです。
「泥棒成金」では若い刑事たちを巻くためにスポーツカーを猛スピードでかっ飛ばすシーンがありますが、皮肉なことに1982年ロケ地の近くを愛車で走行中に脳梗塞を発症し、カーブを突っ切り40m下まで転落して亡くなりました。
12年後、モナコに本格的な日本庭園がつくられ、そこにはフランス語訳で「グレースの庭」の意味になる茶室「雅園」が建てられたそうです。
ヒッチコック映画では「ダイヤルMを廻せ!」「裏窓」とこの「泥棒成金」の3本に連続で起用され、クールビューティと称賛されました。
ヒッチコックは作品ごとに重要な役を与えたと語っています。
「ダイヤルMを廻せ!」では夫に殺されそうになる妻の役。
冷たい夫に嫌気が差して情熱的な小説家と不倫関係にあるというエロティックな役どころで、やや受け身な印象がありました。
「裏窓」ではカメラマンのジェームス・スチュワートの恋人でファッションモデルの役。
危険をいとわないカメラマンの彼氏からは結婚相手として不釣り合いだと冷たくされるが、最後にはカメラマン顔負けの行動力を見せる。
「泥棒成金」では実に変化に富んだ役どころを演じきっています。
いかにもクールな美女として登場したかと思えば、ジョンに突然燃えるようなキスをする。この前後で態度が全く変わるのが女っぽくてカワイイような憎らしいような複雑な気持ちになります。
ジョンが「キャット」だと見破っていて、スリルを楽しむ幼い恋心から、ジョンの苦境を知るにつれ深い愛情に変化していく。そしてラストシーンでは…。
まるで猫の目のようにコロコロと変わる心情はまさに「女心」そのもので、罪深くてたまらなく愛らしい。
イーディス・ヘッドはその演出意図に応えてシーン毎に衣装や髪型を変えています。
ボクはこの映画のグレース・ケリーでいわゆる「ツンデレ」が好きだと自覚しました(笑)
元祖ツンデレは「泥棒成金」のフランシーなのだ。
最後までわからない「謎」
この映画の最大の謎は、なぜベルタニがジョンを陥れようとしたかです。
レジスタンスの仲間たちと結託し「キャット」とそっくりの手口でジョンを宝石泥棒に仕立て上げる理由だ。
かつては泥棒だったジョンが罪滅ぼしにレジスタンス活動に協力した過去に何かありそうです。ベルタニたちは生粋のフランス人でジョンは元々アメリカ人の設定だと思われるので、その立場の違い、悠々自適の生活をするジョンへの嫉妬や猜疑心で彼を陥れようとしたのかもしれない。
しかし、説明がないまま映画は終わってしまうのです。
スパイを題材にした映画でも争奪する「秘密」が何なのか最後までわからなかったり、「敵」の組織が結局どうなったのか不明なまま終わるパターンがよくあります。現代では許されないオチですが、当時はヒーロー・ヒロイン中心で決着が付けば良かったのでしょうね。
これは、ヒッチコック映画のいつもの手「マクガフィン」に違いない。
つまり、意味ありげなようで実は何の意味もない、物語を進めさせる「単なる仕掛け」にすぎないのでしょう。
現代ではその「単なる仕掛け」に時間と労力を割かねばリアリティがないと批判されてしまいます。
しかし、ヒッチコックが求めるリアリティは、目に見える仕掛けの説明ではなく、映画からしか感じられない、ボクら観客の目に見えない「心の動き」なのです。
Blu-ray盤
DVD盤
Blu-rayで久しぶりに観ました。映像も音もクリアになっていてなかなか良いです。
南仏ニースの美しい景色。イーディス・ヘッドの素敵な衣装。ヒッチコック初のビスタビジョンによる堂々たるレイアウト(画面構成)。
そしてなんと言ってもグレース・ケリーの美しさを映像で定着するために作られた、と言っても過言でないくらい、本当に美しく撮られています。
脇を固める俳優も個性派で楽しい。
グレース演じるフランシーの母役、ジェシー・ロイス・ランディスは、「北北西に進路を取れ」でケーリー・グラントの母役を。
保険会社員のジョン・ウィリアムスは、「ダイヤルMを廻せ!」のとぼけた警部役でヒッチコック映画に独特の味わいを与えています。
主演はケーリー・グラントで、ヒッチコック映画の常連です。
40年台から50年台のヒッチコックはアクションの多いサスペンスやコミカルさが要求される時はケーリー・グラントを、心情や人間味が要求される場合は好対象のジェームス・スチュワートを起用しています。
「泥棒成金」は南仏のニース周辺の美しい自然や街並みが主人公と言って良いくらいで、特にこれといったテーマもなく、コミカルな観光映画といった体です。
トリュフォーとの対談本『映画術』の本映画の項目では「軽い話だからね」と評して、女性の好みの話がほとんどでした。
テーマらしいテーマがなく、あまりにも普通に、自然体で、肩の力の抜けた映画なために、あまり論じる必要性を感じないのかもしれません。
そのような映画ほど「ヒッチコックらしい」映画であり、「ハリーの災難」には敵いませんが「泥棒成金」も純粋に映画的な一本だと思います。
洗練された演出技術
人物が置かれている状況や心情を台詞などの説明に頼らずに的確に演出するのがヒッチコックの特徴です。
この映画は以下のように始まります。
・次々と起こる宝石盗難事件
・その犯行はかつての大泥棒「キャット」と酷似。引退生活を送る「キャット」ことジョン・ロビー登場
・警察の捜査が始まり、ジョン・ロビーのもとに刑事たちが来る
・猫騙しのような作戦で刑事たちを煙に巻く
・かつてのレジスタンス仲間が経営するレストランを訪れ、仲間たちに泥棒は自分ではない誰かの仕業だと説明する
途中の刑事たちの短い会話以外は台詞は伴奏音楽か効果音のような扱いで、音がなくても何が起こっているかわかるサイレント映画のようです。
台詞はレストラン経営者でかつての仲間だったベルタニとの会話が最初になりますが、ここで台詞と映像のズレを利用した心理表現が見られます。
このシーンのジョンの台詞は「キャット」と似た手口の犯行で自分が疑われ、かつての仲間からも猜疑の眼を向けられている怒り、真犯人を見つけてやるという勇んだ心情であふれているように聞こえます。
しかし、冷淡なベルタニの反応で一見勇ましいジョンが追い詰められているように見えてきます。
台詞と観た印象のズレによって、それぞれの単独では表現されない「何か」が観る人の心に現れます。
音楽で言えば、対位法…ポリフォニックな表現ですね。
これは主に台詞に対する映像のアングルと芝居の対比によって表現されています。
このシーンは仲間たちをおちょくる余裕を見せたあと、ジョンをアオリ気味で捉えるレイアウトで始まります。
怒りを露わにするジョンに対してベルタニの方は椅子に座って冷淡なツッコミを入れるのみ。
会話が噛み合わずジョンに落ち着きがなくなるとカメラは上方からのフカン気味へと切り返すごとに変化していきます。
アオリとフカンの心理的効果はどういうものでしょうか?
人物(建物でもそうですが)を下から仰ぎ見る「アオリ」で撮ると堂々として見えますよね。2者の対比ではアオリで撮られた人物のほうが上位になっている印象になります。
上から見下ろす「フカン」ではその逆に撮られた人物が下位の立場に見えます。
ジョンがフカンで撮られるにしたがって言葉の強さとはうらはらに「ただ強がっているだけ」の印象になり、逆にアオリで撮られるベルタニは大したことを言っていないにもかかわらず「すべてを知っている」ように見えてきます。
このように、台詞(音響)と映像の心理的効果を利用した対位法的演出によって、映画を観る人の「心の動き」を自在に操るのがヒッチコック演出の真骨頂と言えましょう。
「泥棒成金」は数々のサスペンス映画で培われ洗練された「語り口」を楽しむ古典落語のような味わいに達しているのです。
こういうシーンでは台詞の中に心情を説明する言葉を付加したくなります。
そうすればテキスト的には饒舌になるのですが、映画としてのおもしろさは文学とは違いますから、音響と映像の総合的効果を十分使わなければ真に映画的とは言えないのではないかと考えます。
ジョン・マイケル・ヘイズの洒落た台詞もこの映画の魅力です。
台詞と映像の対位法的な演出だけでなく協奏するところもある、そのバランスも非常に洗練されています。
グレース・ケリー
彼女はこの映画のロケで訪れたモナコ公国でレーニエ3世に見初められ公妃となります。
日本文化を好みモナコに日本式の庭園を造園するよう希望していたそうです。
「泥棒成金」では若い刑事たちを巻くためにスポーツカーを猛スピードでかっ飛ばすシーンがありますが、皮肉なことに1982年ロケ地の近くを愛車で走行中に脳梗塞を発症し、カーブを突っ切り40m下まで転落して亡くなりました。
12年後、モナコに本格的な日本庭園がつくられ、そこにはフランス語訳で「グレースの庭」の意味になる茶室「雅園」が建てられたそうです。
ヒッチコック映画では「ダイヤルMを廻せ!」「裏窓」とこの「泥棒成金」の3本に連続で起用され、クールビューティと称賛されました。
ヒッチコックは作品ごとに重要な役を与えたと語っています。
「ダイヤルMを廻せ!」では夫に殺されそうになる妻の役。
冷たい夫に嫌気が差して情熱的な小説家と不倫関係にあるというエロティックな役どころで、やや受け身な印象がありました。
「裏窓」ではカメラマンのジェームス・スチュワートの恋人でファッションモデルの役。
危険をいとわないカメラマンの彼氏からは結婚相手として不釣り合いだと冷たくされるが、最後にはカメラマン顔負けの行動力を見せる。
「泥棒成金」では実に変化に富んだ役どころを演じきっています。
いかにもクールな美女として登場したかと思えば、ジョンに突然燃えるようなキスをする。この前後で態度が全く変わるのが女っぽくてカワイイような憎らしいような複雑な気持ちになります。
ジョンが「キャット」だと見破っていて、スリルを楽しむ幼い恋心から、ジョンの苦境を知るにつれ深い愛情に変化していく。そしてラストシーンでは…。
まるで猫の目のようにコロコロと変わる心情はまさに「女心」そのもので、罪深くてたまらなく愛らしい。
イーディス・ヘッドはその演出意図に応えてシーン毎に衣装や髪型を変えています。
ボクはこの映画のグレース・ケリーでいわゆる「ツンデレ」が好きだと自覚しました(笑)
元祖ツンデレは「泥棒成金」のフランシーなのだ。
最後までわからない「謎」
この映画の最大の謎は、なぜベルタニがジョンを陥れようとしたかです。
レジスタンスの仲間たちと結託し「キャット」とそっくりの手口でジョンを宝石泥棒に仕立て上げる理由だ。
かつては泥棒だったジョンが罪滅ぼしにレジスタンス活動に協力した過去に何かありそうです。ベルタニたちは生粋のフランス人でジョンは元々アメリカ人の設定だと思われるので、その立場の違い、悠々自適の生活をするジョンへの嫉妬や猜疑心で彼を陥れようとしたのかもしれない。
しかし、説明がないまま映画は終わってしまうのです。
スパイを題材にした映画でも争奪する「秘密」が何なのか最後までわからなかったり、「敵」の組織が結局どうなったのか不明なまま終わるパターンがよくあります。現代では許されないオチですが、当時はヒーロー・ヒロイン中心で決着が付けば良かったのでしょうね。
これは、ヒッチコック映画のいつもの手「マクガフィン」に違いない。
つまり、意味ありげなようで実は何の意味もない、物語を進めさせる「単なる仕掛け」にすぎないのでしょう。
現代ではその「単なる仕掛け」に時間と労力を割かねばリアリティがないと批判されてしまいます。
しかし、ヒッチコックが求めるリアリティは、目に見える仕掛けの説明ではなく、映画からしか感じられない、ボクら観客の目に見えない「心の動き」なのです。
Blu-ray盤
![]() | 泥棒成金 [Blu-ray] (2012/08/10) ケーリー・グラント、グレース・ケリー 他 商品詳細を見る |
DVD盤
![]() | ヒッチコック「泥棒成金」 (2005/10/21) ケーリー・グラント 商品詳細を見る |
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日本で初めて行われた冬季オリンピック、札幌オリンピックの時は9歳になる直前で、スケートのジャネット・リンも後で映像を見て記憶が蘇る感覚だった。
男の子としてはやっぱりスキージャンプが好きでしたな。当時は板を平行に揃えて飛ぶのが主流で時々転倒する選手がいてハラハラしながら見てました。
V字の飛び方は飛距離も安定性も良くて転倒する選手はほとんどいないようで、技術は進歩してますねぇ。
オリンピック全体としては体操の床運動が好きでした。重力から開放されてるように見えるけど自然の法則と身体能力が掛け合わさって様々な技が繰り出される。制約の中でしのぎを削る選手に憧れたもんです。
小学校の時、小さな大会があって急遽編成されたチームに入れられたんだけど上手くできなかった。憧れだけではダメでしたね(^_^;)
大人になって仕事が忙しくなるとオリンピックをあまり見なくなりました。
選手の気持と乖離した政治的な駆け引きが見えたりするのも残念に思ったこともあります。
どうしても日本に不利なルール設定なのでは?と思うことがあったり。
オリンピックはヨーロッパ発祥であり、歴史的に欧米の威信をかけた大会なのが現実ですね。
つまらない話を持ち込みたくはないけど、第二次世界大戦での殲滅戦に近い日本本土空襲や原爆投下、戦後の徹底的な日本を悪者に仕立て上げる『戦勝国が作った秩序』も、自分たちに挑戦する異人を排除しようとする秩序感覚そのもので、オリンピックなどで後付で作られるルールも白人至上主義的な根は同じなんだろうと思う。
これは今現在、日本を政治経済でも縛っています。安倍政権に対する米国の錯綜した批判にはそのような「戦勝国の秩序」の断末魔を見るような気もしてしまう。まだしがみつくんだろうけど。
文明の衝突といった問題がオリンピックでもそんなものが見え隠れする。それも現実なのでしょう。
各選手の気持とはぜんぜん関係ない話だと思うけどね。
…
ソチは仕事しながら見ています。
時々仕事にならなくなるのが玉に瑕ですが。
注目された浅田真央ちゃんのフリーは本当に素晴らしかった。
終演後の表情、インタビューで見せてくれた笑顔。
前日の演技が上手くいかなかった悔しさを吹き飛ばすものでした。
普段から笑顔がかわいい真央ちゃんだけど、この時の笑顔はただ「かわいいだけ」じゃなかったですね。
不本意な失敗をしても悔しさをバネにして更に高みへ到達できる人は本物だ。
ジャンルを超えてそうだと思うけど、まさしく本物を見ることができました。
いや〜〜目頭が熱くなりました。
若い羽生選手の演技も素晴らしかった。
礼に始まり礼に終わる。ふわふわした少年のように見えて実に芯のある姿でした。
41歳で個人と団体で2つのメダルを獲った葛西選手もめでたい!
自分のためでなく仲間のために涙する心持ち。まだがんばるっていう不屈の姿勢もスゴイね。
そんなに熱心に追っかけてるわけじゃない、たまたま見てただけに近いオジサンでも痺れる場面がたくさんある。
日本の選手はもちろん、世界中の選手にも(まだ早いけど)お礼を言いたい。
ありがとうございます!
男の子としてはやっぱりスキージャンプが好きでしたな。当時は板を平行に揃えて飛ぶのが主流で時々転倒する選手がいてハラハラしながら見てました。
V字の飛び方は飛距離も安定性も良くて転倒する選手はほとんどいないようで、技術は進歩してますねぇ。
オリンピック全体としては体操の床運動が好きでした。重力から開放されてるように見えるけど自然の法則と身体能力が掛け合わさって様々な技が繰り出される。制約の中でしのぎを削る選手に憧れたもんです。
小学校の時、小さな大会があって急遽編成されたチームに入れられたんだけど上手くできなかった。憧れだけではダメでしたね(^_^;)
大人になって仕事が忙しくなるとオリンピックをあまり見なくなりました。
選手の気持と乖離した政治的な駆け引きが見えたりするのも残念に思ったこともあります。
どうしても日本に不利なルール設定なのでは?と思うことがあったり。
オリンピックはヨーロッパ発祥であり、歴史的に欧米の威信をかけた大会なのが現実ですね。
つまらない話を持ち込みたくはないけど、第二次世界大戦での殲滅戦に近い日本本土空襲や原爆投下、戦後の徹底的な日本を悪者に仕立て上げる『戦勝国が作った秩序』も、自分たちに挑戦する異人を排除しようとする秩序感覚そのもので、オリンピックなどで後付で作られるルールも白人至上主義的な根は同じなんだろうと思う。
これは今現在、日本を政治経済でも縛っています。安倍政権に対する米国の錯綜した批判にはそのような「戦勝国の秩序」の断末魔を見るような気もしてしまう。まだしがみつくんだろうけど。
文明の衝突といった問題がオリンピックでもそんなものが見え隠れする。それも現実なのでしょう。
各選手の気持とはぜんぜん関係ない話だと思うけどね。
…
ソチは仕事しながら見ています。
時々仕事にならなくなるのが玉に瑕ですが。
注目された浅田真央ちゃんのフリーは本当に素晴らしかった。
終演後の表情、インタビューで見せてくれた笑顔。
前日の演技が上手くいかなかった悔しさを吹き飛ばすものでした。
普段から笑顔がかわいい真央ちゃんだけど、この時の笑顔はただ「かわいいだけ」じゃなかったですね。
不本意な失敗をしても悔しさをバネにして更に高みへ到達できる人は本物だ。
ジャンルを超えてそうだと思うけど、まさしく本物を見ることができました。
いや〜〜目頭が熱くなりました。
若い羽生選手の演技も素晴らしかった。
礼に始まり礼に終わる。ふわふわした少年のように見えて実に芯のある姿でした。
41歳で個人と団体で2つのメダルを獲った葛西選手もめでたい!
自分のためでなく仲間のために涙する心持ち。まだがんばるっていう不屈の姿勢もスゴイね。
そんなに熱心に追っかけてるわけじゃない、たまたま見てただけに近いオジサンでも痺れる場面がたくさんある。
日本の選手はもちろん、世界中の選手にも(まだ早いけど)お礼を言いたい。
ありがとうございます!
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去年の11月に第1回を開いたアニメ講座の2回目です。
第1回では「蜘蛛とチューリップ」から「わんぱく王子の大蛇退治」「太陽の王子ホルスの大冒険」あたりまで。
第2回では(まだ検討中ですが)もう少し現代に近い作品を扱う予定で、作品上映とその解説。という形でやろうと考えてます。
なぜ「保守派のための」とつけているかと言いますと
もちろん技術的な話や偉大なアニメスタッフの話もするのですが、あくまで日本のアニメの成り立ち、外国アニメや古今の芸術、芸能などとの関わりに触れつつ、大まかに時系列にそってお話してくわけで、歴史と伝統の再確認を趣旨としています。
思想としての「保守」は簡単にいえば「温故知新」といったものですから、そのような態度でアニメと向き合う会なのです。
もちろん政治経済の勉強会に参加する皆さんから出た企画だというのもありますが、「保守」が政治経済だけでなく、むしろ生活や文化の捉え方から発生した考え方であることから、アニメという文化の一面を語ろうとする会の名前として相応しいと考えています。
…「保守」が「右翼」と混同されたり誤解されていることから、あえて付けているという面もありますね。
「保守」についてもう少し詳しく書けば、フランス革命の頃あらわれた設計主義、左翼右翼というものに対して、それまであった歴史伝統を重んじて急激な変化を望まない人々が自分たちの考え方に名付けたのが「conservative:保守」です。
本来は穏当に中庸を求める考え方なのです。
決まった設計図や理論、教義のようなものはなく、歴史を重んじて漸進的な改革を許容し得る思想ということになります。
また、「保守」は国によって異なります。日本であれば日本独自の歴史と伝統、感性…つまりボクらの根っこを踏まえた考え方が日本の「保守」となりましょう。
もう一言書けば、昨今のグローバリズムは国々の個性を無視し特定の理論に従えばうまくいくよ、と言ったもので(ユーロ圏が代表例で弊害が出まくってます)、保守とは本来対極にあります。が、それすら場合によっては使いわけようとするのが「保守」です。良く言えば柔軟、悪く言えば良いとこ取りですw
殆どの人々が、いちいち言われなくともやっていることですが、「保守」としては、わかりやすいだけのスローガンや設計主義的な理論に囚われて「このようにやれば上手くいく!」「このレールに乗っかれば成功する!」「◯◯に従えば幸せになれる!」というような方向へ傾くことに警鐘を鳴らすことが度々あります。
(ボクの個人的な感想ですが「キルラキル」はそのような特定の理論=制服に従うか否か、設計主義を打破できるかどうかがテーマなのでは?と思ってます。7話は見事にグローバル資本主義・市場原理主義批判になってたと思ってます。個人的感想ですよ(笑))
ボクはアニメを作ってるだけの人間ですが、社会の動きを知ることで何か仕事に生かせることはないかと少しだけですが勉強しています。
その考え方に則って「保守派のためのアニメ講座」に参加しているのです。
…
主催者のブログから要旨を転載いたします。
http://ameblo.jp/photon55/entry-11751910818.html
日時: 2月9日(日) 午後6時~午後9時ぐらいまで
会場: 新宿文化センター (大江戸線・副都心線 東新宿駅から徒歩5分、丸ノ内線線 新宿3丁目から徒歩7分)
http://www.regasu-shinjuku.or.jp/?p=309
4階 第一会議室
講師: 渡辺 純央(TV版ワンピース 演出、劇場版機動警察パトレイバー1&2 原画、東京造形大学講師)
http://www.zokei.ac.jp/professor/?id=108&blng=4
平松 禎史(ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 原画)
『ミスター味っ子』原画デビュー、 『彼氏彼女の事情』『アベノ橋魔法☆商店街』アニメーションキャラクターデザイン・作画監督・絵コンテ・演出、
『Angel Beats!』絵コンテ・作画監督、『エヴァンゲリオン』TV版~新劇場版で原画・作画監督など担当
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%9D%BE%E7%A6%8E%E5%8F%B2
司会: 古谷経衡(アニオタ保守本流)
http://d.hatena.ne.jp/aniotahosyu/
主催: NPO日本のアニメを楽しむ会
参加の申し込みは以下のメアドまで
minato@mx-eng.jp
タイトル:2月9日(日)講演会参加希望
お名前、携帯電話番号を明記の上お送りください。
第1回では「蜘蛛とチューリップ」から「わんぱく王子の大蛇退治」「太陽の王子ホルスの大冒険」あたりまで。
第2回では(まだ検討中ですが)もう少し現代に近い作品を扱う予定で、作品上映とその解説。という形でやろうと考えてます。
なぜ「保守派のための」とつけているかと言いますと
もちろん技術的な話や偉大なアニメスタッフの話もするのですが、あくまで日本のアニメの成り立ち、外国アニメや古今の芸術、芸能などとの関わりに触れつつ、大まかに時系列にそってお話してくわけで、歴史と伝統の再確認を趣旨としています。
思想としての「保守」は簡単にいえば「温故知新」といったものですから、そのような態度でアニメと向き合う会なのです。
もちろん政治経済の勉強会に参加する皆さんから出た企画だというのもありますが、「保守」が政治経済だけでなく、むしろ生活や文化の捉え方から発生した考え方であることから、アニメという文化の一面を語ろうとする会の名前として相応しいと考えています。
…「保守」が「右翼」と混同されたり誤解されていることから、あえて付けているという面もありますね。
「保守」についてもう少し詳しく書けば、フランス革命の頃あらわれた設計主義、左翼右翼というものに対して、それまであった歴史伝統を重んじて急激な変化を望まない人々が自分たちの考え方に名付けたのが「conservative:保守」です。
本来は穏当に中庸を求める考え方なのです。
決まった設計図や理論、教義のようなものはなく、歴史を重んじて漸進的な改革を許容し得る思想ということになります。
また、「保守」は国によって異なります。日本であれば日本独自の歴史と伝統、感性…つまりボクらの根っこを踏まえた考え方が日本の「保守」となりましょう。
もう一言書けば、昨今のグローバリズムは国々の個性を無視し特定の理論に従えばうまくいくよ、と言ったもので(ユーロ圏が代表例で弊害が出まくってます)、保守とは本来対極にあります。が、それすら場合によっては使いわけようとするのが「保守」です。良く言えば柔軟、悪く言えば良いとこ取りですw
殆どの人々が、いちいち言われなくともやっていることですが、「保守」としては、わかりやすいだけのスローガンや設計主義的な理論に囚われて「このようにやれば上手くいく!」「このレールに乗っかれば成功する!」「◯◯に従えば幸せになれる!」というような方向へ傾くことに警鐘を鳴らすことが度々あります。
(ボクの個人的な感想ですが「キルラキル」はそのような特定の理論=制服に従うか否か、設計主義を打破できるかどうかがテーマなのでは?と思ってます。7話は見事にグローバル資本主義・市場原理主義批判になってたと思ってます。個人的感想ですよ(笑))
ボクはアニメを作ってるだけの人間ですが、社会の動きを知ることで何か仕事に生かせることはないかと少しだけですが勉強しています。
その考え方に則って「保守派のためのアニメ講座」に参加しているのです。
…
主催者のブログから要旨を転載いたします。
http://ameblo.jp/photon55/entry-11751910818.html
日時: 2月9日(日) 午後6時~午後9時ぐらいまで
会場: 新宿文化センター (大江戸線・副都心線 東新宿駅から徒歩5分、丸ノ内線線 新宿3丁目から徒歩7分)
http://www.regasu-shinjuku.or.jp/?p=309
4階 第一会議室
講師: 渡辺 純央(TV版ワンピース 演出、劇場版機動警察パトレイバー1&2 原画、東京造形大学講師)
http://www.zokei.ac.jp/professor/?id=108&blng=4
平松 禎史(ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q 原画)
『ミスター味っ子』原画デビュー、 『彼氏彼女の事情』『アベノ橋魔法☆商店街』アニメーションキャラクターデザイン・作画監督・絵コンテ・演出、
『Angel Beats!』絵コンテ・作画監督、『エヴァンゲリオン』TV版~新劇場版で原画・作画監督など担当
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%9D%BE%E7%A6%8E%E5%8F%B2
司会: 古谷経衡(アニオタ保守本流)
http://d.hatena.ne.jp/aniotahosyu/
主催: NPO日本のアニメを楽しむ会
参加の申し込みは以下のメアドまで
minato@mx-eng.jp
タイトル:2月9日(日)講演会参加希望
お名前、携帯電話番号を明記の上お送りください。
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