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冬ですが、薄着です。
ごめんなさい。 とらのあな+宮村さんとのコラボTシャツ企画です。 12月6日までです。 どうぞよろしく。 なんでギターなのかはお察し下さい(笑) 実はair codeとも勝手にコラボしてます。 Fender様サンクス。 みんなにありがとうな感じ。 …… 追記 始まったな。 ああ… 東京新聞より
事業仕分けが進んでおります。 ところで埋蔵金はどうなったんだろう。 だれも痛い目を見ずに手に入るかのようなニュアンスだったんだが最近聞かないな。 事業仕分けがその掘り起こし作業にあたるとすると乱暴過ぎやしないか。 削るべきものもあると思うけど、未来への投資まで目先の視点で削ってしまって良いものだろうか? 未来の日本が痛い思いをすることになりやしないか? なによりこのような締め付けがボクらの生活を縮こまらせると思う。 節約は大いに結構だが「贅沢は敵だ!」というムードが経済を凍り付かせることになるのではと。 いや、もうなってるかもね。 鳩山政権は何と闘ってるんだろう?? ふと、疑問に思う。 「自公政権の負の遺産を…」という論理。 「アンチ前政権」ですべてを塗り替えようとする姿勢。 何か違うと感じるのはボクだけだろうか? 追記 同じく東京新聞の記事 優良児童劇巡回事業はそのまま通されたそうだ。 これ自体は良いと思う。 しかし 夢を与える主体と方法とを分けて議論していないのじゃないか? 「直接与える」児童劇などは”方法”でしょ。 夢を伝える方法の一つが人形劇など。マンガ・アニメにも可能性がある。 道徳や歴史はもちろん、ロケッット開発や医療・科学技術などは伝える主体。 「直接」わかり難い様々なことをわかり易く伝える媒体が児童劇であり方法。 ということだと思う。 だとすれば児童劇団などを支援するのは良いことです。 しかし、伝えるべきモノが潰れてしまっては優良児童劇そのものの存在意義が薄まってしまわないだろうか? 「夢と希望」には医療・科学技術も入ってる。 ボクが子供の頃はそういうものに憧れたし、同世代から優れた学者・技術者がたくさん出て来たのはマンガやアニメのお陰(と言ったら良い過ぎか…)でしょ。 手塚治虫が生きていたらなんと言うだろう。。。 ボクには「子供のため」という一般が賛同し易いところに甘いだけなんじゃ?と思えてならない。 パフォーマンス臭がするよ。 「夢と希望」将来のため、という観点を重視するのか、費用対効果を重視するのか。 主観やイメージで決められてはたまらない。 仕事用にNew iMacを導入しました。
取り急ぎな感じで前のデーターをそのまま乗っけたのでいろいろと確認がてらフォトショデータやiTunesのデータを見たり、最近買ったCDを入れてみたりしてニューマシンの手触りを馴染ませておりました。 今んとこ映像などは少ないんだけどね。映像編集などの仕事があれば自分のマシンでやってみたいな、と。 んで 「アインザッツ」の資料にと買ったバーンスタインのCDから「キャンディード」の入ってるのを入れて聴いてたらカップリングの「シンフォニック・ダンス」で聴き入ってしまった。 何度聴いたか分からない大好きな曲なんだけどね。 ミュージカル「ウェストサイドストーリー」の音楽を20分くらいに圧縮した組曲「シンフォニック・ダンス」 これも本当に良い曲なので聴いて欲しい。 ミュージカルや映画を知らなくても楽しめる曲だと思う。 この曲で以前から気になってたのが、全編に流れてる二つの音。 (最後の場面では)ド#レ#〜〜となる音。 これが最初の場面から最後まで様々なメロディにことごとく着いて回る。 クラシックの用語で言う固定観念として現れてる。 何故だろうと思ってたんだけど、よくよく考えればこの劇は「ロミオとジュリエット」の現代版。 対立する二つの勢力に翻弄される若い男女の悲劇、なわけだ。 ド#とレ#は鍵盤上では孤立した二つの黒鍵だ。 隣り合ってるけど間に白鍵がひとつはさまってる。 近くて遠い存在。 そんな音と音の関係を登場人物の置かれたそれに当てはめているのかも? と思ったら面白くなってしまった(笑) 最後のシーンではこの二つの音に低音のファとファ#の音が同時に鳴る。 半音違いの不協和音だ。 これがまことに美しい。 「ロミオとジュリエット」では家柄。 「ウェストサイドストーリー」で対抗する二つの不良グループは人種という壁で争っていた。 壁を壊して一つになれる世界を願うのがこの作品のテーマだ。 音楽は音楽の語法でそれを表現してるのかも知れない。 …追記 中間部の静かなメロディも二つの音の一方を1オクターブ上げただけで隣り合う音じゃないかな? やはりこの組曲の骨にあたるのは二つの音なんだ。 そこから全てが広がって、収束する構成になってる。 おもしろいなぁ。 1集から4集を買った。
このDVDシリーズの見所はヒッチコックがテレビの演出をしたというところと 劇場作品での脇を固める個性派俳優が主演として出演してること。 ヴェラ・マイルズ(「間違えられた男」「サイコ」)やバーバラ・ヴェルゲデス(「めまい」) ジョン・ウィリアムズ(「ダイヤルMを廻せ!」「泥棒成金」)などなど コロンボでもヒッチファンが「お?」と思うキャスティングがあったけど、このシリーズは本家の演出がヒッチ本人なわけでより楽しみなのだ。 中には、映画ではちょい役の役者が主人公のものもあったりしてその人の役者としての存在感がシリーズに反映していた。 wikiに項目がないような隠れた名優を楽しめる訳。 例えば 「北北西に進路を取れ!」でケーリー・グラントが敵を追いつめるために乗り込んだオークション会場のヒゲおじさん。 レス・トリメイン グラントが価格を非常識に上げて撹乱作戦に出ると司会のヒゲおじさんが困惑するんだけど その困り具合がやたらおかしくて印象に残ってた。 目立ったモン勝ちだよね。 「ヒッチ劇場」では一見まじめな旦那役で出演してるんだけど、とぼけた味は「北北西…」のまま。 他には 「裏窓」でジェームス・スチュワートの友人役で出演したウェンデル・コーリー。 無責任な横柄さは「裏窓」同様で見ててムカつく(笑) 相手役は「大脱走」で捕虜のリーダーでドイツ軍との交渉役を演じたジェームズ・ドナルド。 「宇宙家族ロビンソン」で末っ子ウィルを演じたビリー・マミー主演の「バァン!もう死んだ」は名作だ。 テレビなのにヒッチ演出が徹底していてすばらしい。 少ないカット割り、カメラの動きの中で見る側の心理をみごとに操っている。 この経験が「サイコ」での低予算と早撮り、抑制された演出に生かされているんだろう。 低予算・短スケジュールゆえにカメラの台数が制限されカット割りが少ない、派手なクレーンなども使えない。 ある意味「ロープ」でのワンロール=ワンカット撮影に近い制約が演出面に影響していた。 ワンカット内の効果的な構成と編集の意味がより明確になっていて勉強になる。 冒頭の挨拶ではスポンサーをとことん皮肉ってるけどテレビの経験は晩年のヒッチコックにいい緊張感を与えたんだろうな。 スポンサー様に感謝しなきゃね。 現代のスポンサーがどうかは、知らないけど。 " Archives De L'Orchestre National de France "
フランス国立管弦楽団の50年代の演奏を集めたCDを買った。 演奏家と曲目は ・ラファエル・クーベリック:ベートーヴェン,交響曲第3番「英雄」 ・ユージニア・ザレスカ(Ms) カール・シューリヒト:マーラー,「さすらう若人の歌」 ・クリスチャン・フェラス(Vn) カール・シューリヒト:モーツァルト,ヴァイオリン協奏曲第5番 ・ストコフスキ:ブラームス,交響曲第1番 目当てはもちろんストコフスキのブラ1だ。 50年代の彼はスマートでスピード感のある従来の芸風にテンポ・ルバートの妙が強まって来た頃。 この演奏ではテンポの揺らしをやや控えめにしシャープで若々しいエネルギーを表現しているようだ。 ブラームスの交響曲第1番はベートーヴェンの交響曲を継ぐものとして20年の歳月をかけて作曲されたという。 ストコフスキはそのプレッシャーと自信、誇りを表現したのではなかろうか。 厳かに開始されることが多いフィナーレの有名なメロディも、この演奏では決然と胸を張るように奏されてる。 妙なもったいぶりなど全くなく、ヴァイオリンの激しいアタックとともに開始される。 テンポもかなり速めだ。 まるで今初めて演奏されたかのようにのびのびと音が鳴って、弦から管へと、テュッティへと至る。 ボクが作りたかったのはコレなんだ!という歓びが伝わってくるように。 フランスのオケは管楽器の音に特徴があって、ホルンなどはビブラートがかかってて音は軽め。 ちょっと拍子抜けしてしまう。 コンセルトヘボウのブラームスがあれば是非聴いてみたいのだが、あったっけ? アインザッツ第5話 鋭意作業中〜。 ところで 劇中に登場する「キャンディード」序曲はかなりカッコイイ曲なので是非聴いて欲しいな。 |