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2013
10.25

『顔のない独裁者』

Category: ひとりごと
さかき漣・三橋貴明(企画・監修)の新作「顔のない独裁者」が予約スタートしました。

顔のない独裁者  「自由革命」「新自由主義」との戦い顔のない独裁者 「自由革命」「新自由主義」との戦い
(2013/11/13)
さかき漣

商品詳細を見る

「希臘からきたソフィア」で使ってもらった著者似顔絵を今回も使ってもらいました。
今回はカラーバージョンで。

サブタイトルは『「自由革命」「新自由主義」との戦い』です。
あまりにもタイムリーな、タイムリーすぎるテーマですよね。
でも、新作のプロットをさかき先生からお聞きしたのはアベノミクスが発動した頃、お花見の季節だったと記憶しています。
つまり、白川日銀総裁が任期を残して退場し黒田氏に変わった頃で希望に満ちた春だった。
ちらりと聞いた内容はとてもお花見気分にそぐわないものでしたが、それから半年が経ち、様相が変わった現在、心を鬼にしてでも読まねばならない小説になっていると半ば確信があります。

あり得なくもない「もしも」の近未来を体験して、そうさせない戦いのために心に武器を備えましょう。



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2013
10.10

『日本を滅ぼすには』

Category: 政治・社会
「死ぬ」とか「滅びる」とか
極端でいたずらに刺激的な表現はあまり使いたくないんですが、決して極端でもいたずらに刺激的でもない状況をほんのちょっと前に体験したり見ています。

あの時
仮にテレビやインターネットで間接的に触れただけだとして、ある時自分の足元が大揺れに揺れ大津波が来て数秒前まで一緒に喋ってた家族や恋人や友人知人、もちろん自分が「死ぬ」ことを深刻に想像したはずです。
遠く離れた家族や恋人や友人知人と携帯やLINEでしゃべっている最中にいきなり通信が途切れ、十数時間後にテレビや新聞で見たくない名簿を固唾を呑んで見ることをリアルに想像したと思うのです。

古来から季節ごとに自然災害に遇いそのたびに多くの死者をだし村や町が滅ぶ心配を我が事として来た日本人は、風雨や地震に強い環境や建物造りをしてきました。
植林や護岸、疏水、灌漑は田畑を富ませ、動植物も守って日本の農業・畜産業・漁業を興すことと両立させてきました。
海に囲まれて逃げ場のない日本人は、自然の功罪の両面を見据えて災害を極力抑えつつ巧みに利用して、そこから数々の独自の文化を生み出してきました。
日本の自然とは作り出されたものなです。
祭祀は祈りの心を育て、日常生活にも生かされているし、音楽や絵画や遊びにも広がっている。
自然との闘いが、死や滅びと背中合わせにした独自の国民性と文化を育み、この土地を「日本」とし、ここに住む人を「日本人」に育てていると言っても過言ではない。
制約をかけ、その中で工夫をしたり制約を超えるような閃きを素晴らしいと感じる日本人の芸術観も自然との闘いから生まれていると考えます。

「大和」という古い名前は山に囲まれた地を意味していると言われます。更に視点を広げれば海に囲まれ逃げ場のない我が国になります。その中で暮らすために「おおいなる和」を持って知恵を絞ってきた祖先を持つのがボクら日本人なのですね。
木と土と水と大気。
敵にも味方にもなるもの。白黒で判断せず、常に両面を見て考えようとする精神、思想があるのも自然との闘いから得られたものだと思います。

自然との闘いをやめてしまう時が日本人が「死ぬ」時で、日本が「滅ぶ」時なのです。

「死」と「滅び」を招くもの
ここに物事の一面だけを見て、自然との闘いをやめてしまえと言わんばかりの社説があります。
毎日新聞の「社説:国土強靱化法案 ばらまきの印籠は困る」です。

「国土強靭化」の意味がはっきりしないと書いてます。
想定され得るあらゆる自然災害への防災減災だけでなく被災地の孤立を防ぎ早期に支えるネットワーク作りを目的とし、地方ごと別々にではなく、国家として(中央集権的に)取り組むことでバックアップ機能を全国的に網の目のように張り国民が安心して暮らせる環境を作ろうとするものです。
それよって日本人の文化の継承を途切らせない不断の努力が「国土強靭化」です。

はい。
素人のボクですら大まかな内容を(ボクの表示環境で)5行で説明出来ましたよ。(藤井先生、合ってますか?)

加えて
金融緩和と財政出動のデメリットはインフレ化ですが、デフレ期の今は心配が少ない。
今こそ国民の安定的な生活環境の再構築と景気刺激策の一石二鳥、国土強靭化政策の徹底的な施行のチャンスです。
景気回復すればGDPがのびて税収も増えます。国債は自然にお返しできますし、社会保障財源もできます。
増税を控え、財政出動で景気押上を行う必要もあります。
「国土強靭化」の印籠を堂々と掲げることが日本の国益、将来のためになります。

ところで、これ、誰が困るんですか?毎日新聞さん。

国土強靭化の意味がわからないどころか「ばらまき」という使い古されたフレーズで公共事業を悪いものだと印象付けようとする。
直接的に書いてはいないが、公共事業があたかも特定の土建屋や政治家の利権のエサになるだけのように語るのは、想像力の無さだけでなく、日本の歴史文化に目を向けようとしない知的怠慢だ。
国土強靭化を阻害して「死」と「滅び」を生み出した場合の責任は誰が取るのか。無責任としか言い様がない。
「軽減税率を新聞に」という新聞の主張に多くの国民が怒るのは知的怠慢と無責任な言説を垂れ流しているからではないのか。
軽減税率自体は消費税増税の対策として有効なものです。それすらマスコミの言説のせいで悪いもののように思われてしまうは、消費者にとって本当に困る話だと思います。

日本を滅ぼすには
国土強靭化をはじめとする公共事業を悪者視させ続け、安全保障から国民を遠ざければ良いのです。他人のことは知らない、今の自分が豊かならそれで良い。そういう思想をバラ撒けば簡単に実現できるでしょう。

税制は時の状況で変えられます。
でも日本の自然環境は変えられません。外国へ逃げるわけにも行きません(外国には日本以上の不都合や危険がいっぱいですし…)。
将来の国民への最大の投資は公共事業です。
自分が死んでも家や道路や鉄道や安定的な電力や通信インフラや…防災・減災の設備があれば基礎は心配ない。
その上で次の世代がしっかり生きていけるなら何の無駄がありましょうか。
何が困るんでしょうか。
外国の自然災害にも日本の技術や思想は役に立っています。国土強靭化を進めればもっと国際協力も可能でしょう。
何が困るんでしょうか。
ぶっちゃけ少々政治家が利権で得をしようが特定の企業が得をしようがしっかりしたインフラが整備されるのであれば国民全体の利益のほうが遥かに大きいでしょう。
「公共事業にばらまくなら俺の財布に入れてくれ!」と言わんばかりな今しか自分しか見ないルサンチマン毎日新聞のような意識が蔓延したら本当に日本は危ない。
一部の懸念を優先して緊縮を強いた結果、手抜き工事が横行したりインフラ整備や更改がされなければ「死ぬ」人が出る。この夏だけでも実際出てますよね。
命が大事だ!と主張する人にこそ、国土強靭化を巨大な印籠にして掲げていただきたいものです。
また、財政出動の予算獲得に政局や陰謀じみた話を絡めて批判することが結局何を生み出すのかにも想像力を働かせて頂きたい。

毎日新聞さんは何も日本国民を死なそうとしたり日本を滅ぼそうなんて考えてないと思います。ただ、おわかりになっていないだけなんでしょうね。

効率と非効率
あらゆる分野に効率化を求める思想と、非効率でも必要なことはやっていこうとする思想の対立があります。
「構造改革・規制緩和」が効率化の最たるもの。民間に任せて効率化すれば良いという思想で「小さな政府」を推し進めるものです。
効率化が望ましい分野もありますが、効率化してはいけない分野もあります。どちらかが正しいとか間違いではないでしょう。
たとえば医療現場では、カルテや情報の効率化はできても患者とのやり取りなど効率を考えて省いたりはできませんよね。
適材適所で使い分けるもの、というのは特別なことでなく生活レベルでも容易に想像できると思います。
人が子供を生み育てるのも効率化の思想とは相いれませんし、むしろ公共事業と似ています。
人は場合によっては非効率なことや犠牲を払ってでも子や孫を育てようとします。
多様性を維持し継承していくことはとても非効率です。しかし非効率を呑み込む余裕は社会にとってなくてはならない感覚ですし、文化とはそうやって育てられていくものだと思います。

「小さな政府」は国家をできるだけ細分化して効率化し人のコントロール下に置こうとする思想。
「大きな政府」は国家をひとまとめに考える思想で安全保障には向いていますが非効率です。非効率にならざるを得ませんからね。
「大きな政府・小さな政府」適材適所で良いんじゃないでしょうか。
少なくとも地域を小分けにして効率化を図る思想ではコントロール不能な自然災害には全く対処できないのです。

あの時、それを実感したはずです。

災害に備えるのも平時では無駄でも、いざとなれば無くてはならない。効率を考えては命を守れません。
あらゆることの功罪両面を認識し、非効率や無駄や犠牲を呑みこみながら命と文化を継承していくのが日本列島に生きるボクらの生き方なのだろうと思う。

南関東から東南海での大地震はそう遠くない将来起こると言われます。
人が「死ぬ」ことと日本が「滅ぶ」ことを避けねばなりません。

長いデフレと緊縮財政により土建の人材と技術が危機的状況にあります。
土建の技術が継承されなければ日本の生命線と言って良い文化が失われます。
土台や根っこを軽んじていては何も育たない。
お金も物も大事ですが、心の豊かさや余裕を失っては将来は空虚です。

それこそ日本が「滅ぶ」時でしょう。

どうやって防ぐかを考えないといけません。



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2013
10.04

『増税論議の置き土産』

Category: ひとりごと
これ、随分迷ったんですが記しておきます。

消費税増税に反対する国民運動の一部で残念ながら意見の対立が生じてしまった。

結論的なことから書くと
・みっともない論争を見た多くの人、巻き込まれた人は「やっぱり政治には関わりたくない。発言もしたくない」と思ったのではないか。
・目に見える二項対立は本質ではなく、戦後レジームから派生した経済思想についてもっと知らなくてはいけない。

前者にはボクも加担してしまいました。
後者はわかりにくいことで、もっと理解を深めて噛み砕いて自分のものにする必要が有ります。


何が起こっていたか
消費税増税に反対する政治家、評論家、学者の論説に賛同し増税延期の気持ちを同じくしていたはずが、ボタンの掛け違いで分断され、一部ではいがみ合う結果になってしまいました。
ボクの考え方は前の日記でも触れていますが、日本だけでなく世界に広がって「良きもの」と信じられてきた政治経済思想に対する受け止め方の違いと言って良いかと思います。
特定の政治家や有識者のつながりや予算獲得を巡る権力闘争、財務省の問題など表面に浮き上がった灰汁は本質と言えないかもしれない。
鍋の底に潜む灰汁を出すモノ…思想的な違いが問題なんじゃないか。
財務省の歪みは最も深刻に思想的な問題が集約されていると言えそうです。

二分された両者の主張はざっくり言って以下のようでした。
倉山満氏と上念司氏を中心とする、消費税増税徹底阻止を訴え絶対にこれを容認してはいけないと主張する層。
もう一方は消費税には反対だがそれだけが問題ではないとする層。

当初は共闘できていました。
倉山氏はデフレ下の消費税増税では税収は増えず、デフレ悪化によってむしろ減ってしまうと両者に共通する考えを押していましたから同じだったのです。
マスコミの既成事実化に対抗し「首相の肉声」だけが真実であって首相が増税を判断すると言わない限り増税は決まっていない、阻止できる。と繰り返し訴えていました。
これも9月前半まではそうだと思いました。

しかし、悪意や敵味方の二項対立を煽る姿勢には強い違和感を感じた。

おかしい。そう思ったのは青山繁晴氏を「愉快犯」と決めつけた動画です。
(今日見たら当該部分がカットされていました…)
収録はKAZUYA CHANNELの京本和也氏が上京した折の宴会上で収録されたものでした。
酒が入っているし倉山氏のクセのある言動は珍しくもないので最初は「酔っぱらいの悪ふざけ」程度の印象でしたが。
その後もブログなどで繰り返し「愉快犯」呼ばわりしザコと呼びレッテルを貼り始めました。
笑い事では済みません。

増税の首謀者は財務省の木下次官だと決めつけ(そうなんでしょうけど)、支持者に対しTwitterやFacebookを使ってネガティブキャンペーンを展開、木下次官の写真を加工したチラシを作り始めた。
これはあまりにも酷かった。
倉山氏が指示したんではないけど、悪意を向けた結果でしょう。
客観的事実を書き込むならまだしも、「国賊」「安倍下し」「悪代官」「弱者いじめが生きがいです」「私の使命は『日本の弱体化』です」などの文言を重ね、「手配書」と題した写真。顔写真を歪めて加工したり、悪意まるだしのコラ…。
倉山氏もFacebookで拡散していました。
これらは人道に反する行為で容認できませんでした。
拡散している倉山支持者がいるボクのFacebook上でその旨書きましたが改める気配はなく止まりませんでした。

エスカレートは止まらない
もはや首相以外の言葉は信じないとか、マスコミの飛ばし記事を論ったり、敵か味方か色付けしても意味のない段階に来ていましたが止まりません。
この段階で、増税だけが問題ではないと考える人達と完全に分断されてしまいました。

これまで賞賛していた産経新聞の田村氏(記事には署名がないけど)が「消費税率引き上げを発表する方針だ。」との記事を書くと「読む人が読めば「政治部が無理やり書かせたな?」とわかる記事。」と断じた(ブログ中のリンクは当該記事へは飛びません。)が、その後チャンネル桜の討論で田村氏は同じ趣旨のことを言っていました。
誰かに言わされているんでしょうか?
そうじゃないと思います。田村氏は増税以外の論点を書き、政策論から政治論へ移行した現実を書いているに過ぎない。

このエントリーの文末では「「もう決まったことだから」と戦っていない奴ら、二度と日本を語るな!」と書いています。
田村氏のことですが、一般人にもこの考えが適用されます。
周辺からは自分たちと同じ戦い方をしない者は誰であれ排除するかのような発言まで出て来た。
よく読めば倉山氏は排除を指示していません。
しかし、賛同者は排除へと向かいエスカレートします。(これを巧いやり方と言って良いかはわからない)
ボクもあるところで排除されました。

さらに
麻生財相は木下の手先だ!と決めつけ、西田昌司議員を麻生の手下と決めつけ、倉山氏が熱烈に応援していた赤池誠章議員も増税やむなしのビデオレターを公表してからは敵視に転じた。
国土強靭化を主張する藤井聡参与には名指しはしないものの、鶴田正平氏のメルマガを藤井氏のペンネームと疑うことで半ば名指し批判していました。
麻生氏とつながりのある言論人や専門家まで敵視して攻撃する始末。
予算ほしさで消費税賛成に転じたなどと質の悪いマスコミと同レベルの論調に堕してしまった。
国土強靭化に予算がつくのが悪いことだろうか?

もはや政策論はなく、督戦隊のごとく味方だった人々を敵認定して排除し、自ら陣地を狭めていく。
安倍首相が増税を認めるか否かだけを拠り所にし、勝ち負けでエスカレートさせ、「増税阻止」だけに絞って首相が認めるまで負けてないと虚勢を張り続けた戦法は出口がなく、玉砕しかないように見えました。
問題を単純化し対立論争に持っていくのは上念氏も同様でディベート的な方法論なのだろうと思う。
やり過ぎという程度問題を超えていたと思います。

多くの知識を持ち非常に優れた人たちが自分たちを受け入れないものを敵視し排除していく。
何かを思い出させますが、明確にしないでおきます…。


そして増税の判断が発表された
倉山氏がずっとデマだと言っていた10月1日の増税判断は報じられていた通りに行われ、安倍首相の肉声が増税決定を告げました。
ボクも発表までの行程を説明する程度を期待しましたが叶いませんでした。
残念としか言いようのない判断です。
デフレ脱却前の増税はしないと言ってきたわけですからね。
来年春以降の景気の腰折れをどうやって防ぐかが課題になりました。

しかし
倉山氏は今後については語らず、彼を早い段階から登壇させ発表の舞台を作ってきたチャンネル桜にまで噛み付きます。

倉山満の砦「チャンネル桜さん、さよなら!」http://www.kurayama.jp/modules/wordpress/index.php?p=1142

「さよなら!」の原因は記事中にリンクされている水島社長と三橋貴明氏の動画、ということにしているようですが、増税判断前の「くららじ」収録前に増税はほぼ決まっているから安倍首相を批判しすぎないようにと告げられたことから既に水島社長への敵視は始まっていたのです。
「こういうことされたら当然でしょ」と書かれていますが、ではあなたは今までどんなことをして来たの?と問いたい。
ボクの私見ですが。(このブログは私見の塊ですが重ねてそう書きます。)
倉山氏が何より怒ったのは三橋氏と並んで消費税への考えを語ったことでしょうね。
控えめに言って(立場的な)嫉妬だと思います。

チャンネル桜は見ている人には分かるでしょうが色んな主張が混在している放送局で、それを容認するのが水島社長のスタンスです。
水島氏の見解には賛同できるとことそうでないところがありますが、どんな意見でも編集したりカットしないで伝えようとする放送理念には賛同しています。

水島氏の倉山氏に対する見解は以下の通り。




この日記自体、後出しじゃんけじゃないのかと思われるかもしれない。
お前は増税に抵抗したのか? 増税を良いと思ってるのか?と問われるかもしれない。

増税の有無にかかわらず問題にしないといけない事がある。懸念は表明していましたが、自分一人では倉山氏への違和感を認識できなかったかもしれない。
志を同じくする政経仲間がいてくれて認識をはっきりさせることができたと思う。

増税には今でも反対です。
回避できるなら今からでもしてほしいが、問題は増税よりも経済思想にあると今では考えています。
増税自体が悪いのではなく、デフレ期にやってはいけないということですからね。
戦後レジームの正体。目に見えてわかりやすい憲法や歴史認識、教育、情報の問題は片輪であってもう片方の経済思想を検証しないといけないんじゃないか。
欧米的な思想。米食からパン食へ切り替える政策が進められたように、一見気づかないような経済思想も塗り替えられた、或は民主主義のように常に「良きもの」として受け入れてしまっていたんではないか。
遅ればせながらそう考えているところです。

「新自由主義・新古典派経済学派」と「ケインズ派」
三橋氏は一貫して消費税に反対でした。一見、淡々とこれまで通りの日記を書いていましたが、レントシーキング、ユーロ、TPPなどを通じて経済思想の危険性を共通項として書いていき、総仕上げとして消費税増税への反対論を書いたのです。
主題は明確だった。
日本経済にはびこる効率論、新自由主義・新古典派経済学からの脱却がデフレ脱却であり、戦後レジームからの脱却にもつながる。
経済思想の危険性は増税の有無にかかわらず問題にしないといけない。と。

新自由主義・新古典派経済学を問題視しているか、していないか。
この論点で、一連の増税論議騒動を見直すと腑に落ちるところがあると思います。

倉山氏が展開した政局戦法は政策論ばかりか経済思想の論点から目を逸らさせることになった。
何より気がかりなのは
倉山氏が敵視したのは、国が前面に出る財政出動を嫌い、財政均衡を求め、公共事業悪玉論を唱える思想に異を唱えている人たち、いわゆる「ケインズ派」ではないか、ということ。
二つの経済思想はどちらかが正しいとか間違ってるとかではなく、状況によって使い分ければ良いものです。
バランスをとって経済成長へ導ければ良い。二項対立化をするのが本意ではありませんよ。
しかし、自然災害が季節ごとに来る日本ではケインズ的な政策は常に重きを置いた方が良いのではないかと思います。

彼は10月3日付けの日記で「自分の本分に戻る」と赤字強調で3度も書き込んでいますが、彼を信じてその戦法に乗っかった人たちはハシゴを外されたようなものです。
刺激的な戦法には人が集まりやすい。ネットでは特にそうです。
ハシゴを外されても意思を継いで麻生財相や西田氏、三橋氏などを攻撃し続け敵を増やすなら、もう滑稽でしかない。
結果的に戦後レジームからの脱却を阻害していることになる。
「反原発」や「米軍基地・オスプレイ反対」運動がワン・イシューで先鋭化した隙に特定の政治活動団体に入り込まれ、結果的に自分たちの首を絞めたのと同様ではないですか。
一般の多くの人が退いてしまえば何の力にもなりません。国益毀損に加担することになります。

もはやコントロール不能な悪意の塊を生み出してしまった。


これが増税論議の置き土産です。


経済思想の話はなかなかわかりにくいとは思う。
コツコツ勉強していきますよ。
どんなことにも常にプラスとマイナスはある。凹んでないで直視して前進する糧にしよう。
スーパーポジティブシンキング!

間違いは誰にでもあるものです。
過去の反省を元に修繕しながらよりマシな方向を探るのが「保守」というものでしょう。
思い込みを捨てられず、同調圧力に耐えられず、失敗を認めないで突き進むのは果たして身を助くることなのか。
国民の平穏かつ安定的な生活と発展を目指すことになるのか。
政治経済を身近なものとして勉強してきた人たちなら、考えていただけると思うのですが…。


PS.
憲政史家としての倉山満氏のこれまでと今後についてはコメントを控えます。
どうしても甘くなってしまいますから。




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2013
10.02

『雨降って地固まる?』

Category: 政治・社会
9月30日と10月1日は愛媛に行ってました。
消費税増税の判断はもう少し後かと思いましたが1日に発表されましたね。
首相の決断はかなり早い段階で成されていたのでしょう。
旅先ではこれをネタに大いに飲みました(笑)

まだ首相会見も見ていないし経済対策の中身も報道されていたことしかわかっていませんが、増税の判断前から考えていたことをもう一度まとておこうと思います。
直近に公開された専門家の記事を二つ引用します。

現実の中の「危機と希望」。
藤井聡氏「残酷で複雑な世界」 http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/10/01/fujii-57/
東田剛氏「アベノミクスの終わり」 http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/10/02/korekiyo-64/

ちょー要約
前者:人物金の国境を取り払い国際的「効率化」で文化の平均化を図るTPPの危機。
後者:増税と引換の財政出動路線は反緊縮・反効率化への希望になるか? 
両者共通:安倍首相は大丈夫か??

安倍首相の政策観には新自由主義・新古典派経済学的な血脈があったといいます。
「保守」としては相容れない相反する思想になるとおもう。
20年続いてきた緊縮財政。構造改革・規制緩和の流れは消費税増税の決断にも影を落としています。
理想論では片付けられない複雑な状況がある。

5から8%への増税という目の前のニンジンのごとき事象よりも、経済全体への思想の影響力の方が深刻だと二つの記事は訴えます。
これに気付けなければ増税を先送りできてもデフレ脱却は不可能になり経済成長へも持っていけない。国土強靭化も真の独立も縛られたまま叶わなくなってしまうのではないか。
本当に国の行く末を危うくするのだろうと思います。
先のことを考えない増税阻止運動に抜けていたのはこれでしょう。
エネルギーで言えば「反原発」だけに固執するのと同じ誤りだ。
頭でわかっていても増税のような強大なインパクトで簡単に忘れてしまう危険性。そして人心を束ねるファッショに易々と傾いてしまうことも。
二項対立論にもっていく左(右)翼的な手法は言うまでもなく、保守とは対極にある。

供給側に偏った効率論は詰まるところ最大のコストである国民の所得を削っていく。
ムダ削減という美名で国民の安全を犠牲にしていく思想。
国家と国民の根っこを枯らすもの。ユーロギリシャなど南欧諸国はこの危機にある。
需要側…つまり国民の立場に立ったバランスの良い政策観が必要だ。
安倍首相にはこの観点を持っていただくよう求めていくことが必要でしょう。

首相一人を相手にしても不十分。
今回「増税容認に転んだ」と一部で裏切り者扱いされた西田昌司議員、赤池誠章議員、中野剛志氏、三橋貴明氏、青山繁晴氏、上の記事を書かれた参与の藤井聡氏などのように経世済民・国民経済の観点をしっかり持った政治家や有識者がもっと増えてくれないと日本は危うい。
それに気付いた国民が増えてくれないと危うさに気付けず、本当に危ない。

ボクは自分の立場、自分の仕事でこの思想的な課題を(と言うと大げさに聞こえるかもしれないが恋愛ものやSFものにも人生観や様々なテーマな含まれるように)少しでも作品の通奏低音として響かせるよう、やれることをやっていきたい。

消費税増税は直近の身近な経済に悪影響が大きい。
だから反対してきたけども、それよりも大きなリスクが有ることを知ることができたのは収穫でした。

長らく続いた新自由主義・新古典派経済学からの脱却が、本当の意味でのデフレ脱却であり、戦後レジームからの脱却につながる。
枯れたように見える古木でも新たに芽吹く希望はある。
ゆっくりじっくりと本来の日本文化を根に新芽を育てていきたいです。
根まで枯らせてはいけない!


PS. ボクのピンボケな経済への考えを改めさせてくれた先生方。政経仲間に感謝です。



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