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2014
03.31

「両面性を見る文化」

Category: 政治・社会
東京武蔵野は桜が八部咲きになりました。
昨日は台風のような荒れた天気で気温が下がったりして不安定でしたけど、今日は一転して日本晴。
気持ち良い月曜日です。

IMG_2978.jpg


今日は以下の記事をネタに考えてみたいと思います。

三橋貴明:グローバリズムと「お祭り」
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11809182537.html



台湾の「対中サービス貿易協定」
「グローバル」な取組みとは地球規模の視点で行う様々な取り組みという意味で、常に正しいような錯覚を起こしがちですが、やっぱり正悪の両面があります。
「地球規模の視点で〜」「平和のために〜」「国益のために〜」「◯◯の自由を〜」「人権を〜〜〜」…誰もがYES!と言い易い主張を上手に叫ぶ人が何か一つの考えや方法を常に正しい(常に悪い)ことのように言う。こういうことはいつの世にもあるものですね。

国境をなくし、各国ごとにあるルールや規制を「一つ」に統一化してヒト・モノ・カネのやりとりを行いましょう。そうすればみんなウィン・ウィンで世界平和が実現できて万々歳!
これがグローバリズムの基本ですよね。

新古典派経済学の基本にある「セーの法則」(供給が需要を生む…10作れば必ず10売れるはず…自由貿易で国境をなくして供給を増やせば需要も増えるはず)がグローバリズムや新自由主義を正当化する基本思想になっているとのこと。
このような思想による学説通りの「良い結果」をもたらすには様々な前提条件が必要になりますが、現実にその条件がそろうことはほぼ無いわけです。
ならば現実を見て適切な方法を探り複数の方法を組み合わせたり試行し修繕ていくのが人の道だろうと思うわけですが、台湾の「対中サービス貿易協定」も、日本の「TTP」もまっとうな民主主義が機能しない状態で進められるという似たような問題を抱えているんですよね。
その内容を国民はもちろん国会議員も知ることが出来ない。
三橋氏が指摘するように、秘密協定で行う理由は何なのかも、憶測するしかない異常な状態なのです。
この間のウクライナの問題も、台湾の現在進行形の問題も、日本はまったく他人事ではないんですね。
「一つの」思想や方法論を常に正しいと考えるってのは恐ろしい極論と言わざるをえないでしょう。

お祭り
語源は「祀る」にあると言われます。五穀豊穣を祈念するものでもありますね。
地域のお祭は神社の例大祭に行われるのが基本のようです。
吉祥寺の武蔵野八幡宮は9月15日。実家豊川の牛久保八幡社は4月8日でお祭は5日と6日。その近くの中条神社は3月の最終日曜日が例祭日で手筒花火150本ほどが上げられ奉納されます。それぞれ例大祭に近い土日を使ってお祭りが行われてるようですね。

神社のご祭神は地域ごとに違っていて祭礼の目的も様々。
日本は古来から何か一つのルールや教義に頼らず、何か行動するときの理由付けも「あいまいさ」や「なんとなく」が多く含まれていると思えます。
お祭りにしても、地元の神社のご祭神のことや祭礼の正確な目的などは知らないで参加する人が多いと思う。
現代では休日のイベントとして「楽しいから」見に来る人がほとんどだと思いますが、大昔でも、全ての民がお祭りの意義を意識するような時は飢饉や自然災害の時や、そういう記憶を呼び起こすような祈念の年で、平時は「楽しいお祭り」の意識だったんではないかなぁ…と。
それで良いと思います。
祭礼や意義を重んじて執り行うのは神官だったり、お祭りを主催する一部の人や、信心深い人たち。地域住民からすれば一握りの人々しか強く意識していなかったのでは?と思います。
なので、「お祭りって何?」って訊けば最初は「楽しい催し」と答える人が多いでしょう。
でも、もう少し突っ込んで訊けば「平和や恵みを祈るもの」と答えるかもしれない。
根底にある「八百万の神々」というものも、突っ込んで訊けば「そういえばそうだね」という感じで納得する人も出てくるんじゃないかと思う。
そいうのは「あいまい」に「なんとなく」共有しているんであって、「五穀豊穣だ〜〜!」「八百万の神々が〜〜!」なんて大昔の人だって大上段に構えて叫ぶような人は変な人って思われてたんじゃないかしら。
現代のネット上でも断言口調が嫌われる傾向があるのはそんな意識の表れかな?と。
「あいまい」に「なんとなく」共有できるのは、一つのルールや教義でまとめようとしない心理の現れだと思えます。
島国で、山や河で分けられた小さな地域に住む人たちは、争いの種になるような「これが唯一正しい考えだ!」なんてのを掲げるより、なるべく多くの人が「まぁ、それで良いよ」と思える「あいまい」さ「なんとなく」な感じを選択してきたのではないかと思うのです。「察しと思いやり」も口にすると角が立つようなことを避けるために発達した(外国人から見たら)超能力ですよね(^_^)
大事なことはゆる〜〜く共有されるのが日本流で、だからこそ2000年近く国柄が転覆するような「革命」が起こらなかったのでは?と思うのです。

お祭を見ていると、現代人のボクらと大昔の人の感覚って根っこではつながっていると感じます。

『グローバルなマニュアルに従った「お祭り」など、ゾッとします。』
三橋さんはブログでこう書いてます。
まったくですね。
仮にお祭りを「日本文化を象徴する大事なものだ。八百万の神々を大事にしよう!」と認めていたとしても「地域ごとにバラバラな例祭日を統一して国家規模のお祭りに改革しよう!」なんて言い出したら大反対しなければいけません。

「ゴジラ」では最初の被害があった大戸島の島民が浜辺で海の神を鎮める祭をするシーンがあります。
太古の時代、大切な恵みをもたらす海や河や山が時として大きな災禍をももたらすことから「八百万の神々」という意識が生まれ信仰に昇華してきたと考えられます。祭礼には自然の恵を祈ることと禍事を鎮める両面がありますからね。

日本人が物事には必ず両面があるということを認識していて「一つの」ルールや教義的なものを採用してこなかったのは「鎖国」の目的を考えてみてもわかります。
カトリック(スペイン・ポルトガル)は布教活動を推進してたため禁止し、商売中心のプロテスタント(オランダ)との貿易は認めて欧州の情報も仕入れていました。鎖国は貿易を閉じ世界への眼を閉ざしたんではなく一神教の侵入を防く意味があったわけですね。
しかし、スペイン・ポルトガルの個別の事情(日本以外での権益拡大)や清朝成立でアジア進出を止める国が多かった事情も複合的にあるようで、江戸幕府の交渉力だけでスペインやポルトガルが来なくなったんではなさそうです。この件で江戸幕府を過剰に持ち上げるのは無理がありますね。(この辺り、TPPが日本以外の事情で揉めて延び延びになっているのと似ています。鎖国時代を持ち上げて「安倍政権の交渉力」に期待を持たせるのは軽率だろうと思います。)

とはいえ、この「あいまい」と「なんとなく」も正悪の両面があって、大昔でも近現代でも戦乱を避けられなくなる原因にもなったんですよね。
何か一つの主張を常に正しいかのように上手に叫ぶ人に騙されて、多くの人々が「あいまい」に「なんとなく」扇動されてしまう恐ろしさは、戦争だけでなく、戦後の自虐史観だけでもなく、原発問題だけでもなく、現在進行形の政治経済の問題の数々、それこそ「全てに」「常に」含まれることだと意識していないと人の道を誤ってしまうのかもしれない。

他国の文化(宗教)にも両面を見る姿勢がもちろんあると思います。
あることが良く作用した時は神々のお導きと考え、悪く作用した時は何か神罰が下ったのだと解釈すること。「これは神が与え給うた試練だ。」などと言って外国映画でも見かけますよね。
では。
正悪の両面が入れ替わるかもしれない、または、視点の違いなだけでは?と予感すること、なんてのはあるんでしょうか?
正悪ではなく、どちらも真理で単に人間にとって都合が良いか悪いかの違いでしか無いのでは、という考え方は?
確証はないですが、どちらかといえば、欧米では「唯一正しい考え方」を求め、両面のどちらが正しいか?を求める傾向が強いのではと思ったりします。それは革命や戦争を繰り返してきた歴史に現れているのでは?…と。悪い一面、ですけどね。
日本人もずいぶん欧米的になっているんじゃないですか?


お祭りは、地域ごとの出来事、人によって違う願い事、自然の恵と禍事…様々な物事の両面を感謝したり鎮めたりする。

地域ごとに多様な、個性的な「お祭り」の楽しさと鷹揚な包容力を今年も味わいましょう♪


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2014
03.24

「明確な答えのない恐怖」

Category: 政治・社会
2作品の最終回お手伝い週間がどうにか終わりました。
お手伝いしたのは「キルラキル」と「Wake Up, Girls!」です。お楽しみに♪

さて
「安倍さんは新自由主義ちっく」…以前は冗談半分に言われていたこれが、ここまで日本経済の首を絞めるところまで来るとは思いもよらなかった。
その点は正直に反省しないといけない。アベノミクスに小躍りしすぎました。
アベノミクス自体が間違っているとは今でも考えていませんが、すでにアベノミクスの基本「金融緩和と財政出動のパッケージ政策」というものは思想面から瓦解しています。
であれば、なぜそうなっているのか考えて批判もしていかないといけないでしょう。

東北復興、防災減災で期待されている国土強靭化基本法に注目です。
この法律をまとめていた藤井聡教授は抱えていた病気の治療を先延ばしして仕事を続けられ、掛け値なしの「命がけ」でしたからね。


問題点をざっと挙げていきます。

『給料崩壊』三橋貴明「新」日本経済新聞
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2014/03/24/mitsuhashi-100/
『競争の激化とは、具体的には日本国内の労働市場に、「外国人」「女性」などの新規労働者を投入し、さらに企業のリストラを容易にし、あるいは活性化し、労働市場で「労働者同士」の競争を激化させることです。そのために必要な政策が、
「外国人の入出国手続きの簡素化」(最終的にはシュンゲン協定のように国境検査を廃止)
「外国移民の奨励」
「扶養控除の縮小・廃止」
「リストラ助成金(労働移動支援助成金)の拡大」
「派遣労働に対する規制緩和」
「金銭解雇(金銭を払えば解雇できる)の導入」
「解雇特区の設置」
などになるわけですが、
恐ろしいことに安倍政権において上記の「全て」が推進されているか、議論されているか、もしくは議論に上ろうとしました。

政府は小さくし、民間・市場に任せて競争を促進することで成長を高めよう、という考え方。
小泉政権から耳タコなフレーズです。
競争から落ちこぼれる者は負け組「自己責任」…こんな論調もありましたね。

このような政策の基本にあるのは、新古典派経済学を基にした考え方です。
それはざっくり言うと「供給が需要を生み出す」というもので、さらに非自発的失業者(働く意欲があるのに仕事がなくて失業してる人)は ”いない” としています。
働き手がいればそこに仕事がある(生まれる)はずだと考えるのが新古典派経済学に基づく考え方ということです。
学問ならば現実にあり得ない前提でも相関が成り立つかどうかがわかれば良いのです。
科学や医学などでもそうですよね。
ある条件下で成り立つ学説は、もちろん複雑な現実では「常に正しくはない」という留保が必要になります。
そして、この現実にはあり得ない考え方によって拡大される自由貿易。国境を取り外してヒト・モノ・カネのやりとりを自由にしていこうと主張するのが新自由主義と言われるもの。

三橋さんのブログで挙げられている政策は、これらの思想に基づいています。

競争や自由貿易は否定されるものではありません。必要なものだろうと思いますが「常に推進して良い」とは考えません。
デフレ不況から脱却できていない日本経済では、不適切な政策だと言わざるを得ないのです。
なぜ、思想の問題点に気が付かず、現実を見て政策を判断できないんでしょうか?

経済思想の混在
中野剛志・柴山桂太・施 光恒「まともな日本再生会議」と言う本の中で、中野剛志氏はこのように述べています。
『世界のパラダイムは、変革期にあります。新自由主義的な流れからケインズ主義的な流れに戻ってきている。しかし、新自由主義的な流れはしぶとい。ゾンビみたいなもので、「バイオハザード」的な世界です(笑)
こういう時代の変化ですから、政権与党である自民党は最大公約的に新自由主義的な流れとケインズ主義的な流れが混ざってた状態で混乱している。これからせめぎ合いがが続きます。
制度的にはすでに新自由主義が反映されてるし、役所もこの20年間の新自由主義で成功をおさめた人間が幹部を独占していして、人事権を握っている。政治も財界も官僚も、社会人の人生の半分以上を新自由主義者としてすごして、現在の地位に上がり詰めた人間が、「これからは新自由主義をやめます」という訳がない。
20年も人々を苦しめて、自殺者もたくさん出しているのにまだ新自由主義で遊ぼうというのは、いかにもまずい。』


ケインズ主義は超簡単にいうと財政政策を進めるもので、現実経済の不確実性や非効率を認める考え方です。なので取捨選択する政府の権限は確保されないといけない、と考えます。大きな政府寄りですね。
新古典派経済学に基づく新自由主義。そして消費税増税の根拠となった財政均衡主義。
約20年間、この2つがセットとなって日本の経済政策は行われてきました。
政府を小さくして民間に任せる…となれば大企業ほど恩恵に預かれます。大企業ほど政治やマスメディアへの発言力が強い。この思想を改められない背景にはこんな構造もあるわけですね。
小渕政権の時、軌道修正が試みられましたが残念ながら小渕さんは早くに亡くなってしまい元に戻ってしまいました。
リーマン・ショック後も修正できずにいます。
GDPデフレーターは平成六年(1994年)をピークに下がり続けています。下降が2年以上続くとデフレになったと定義されるそうなので、一般的に平成八年か九年(’96年か’97年)からデフレーションに陥っていると言われます。
その頃から自殺者が約1万人急増しました。(グラフが元号表記なので揃えるために少々読みづらいけど併記しています…)
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(画像は産経新聞社の2010年5月13日の記事から引用)

内閣府の最新のデータはこちら ( http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/toukei/pdf/h25joukyou/zuhyo1.pdf )
急増というのは誇張でもなんでないことがこれらデータ、グラフから見てとれます。
趣旨からズレますが、平成二十三年(2011年)、つまり東日本大震災の年の5月に突出して増えた後減少傾向に転じています。
先の見えない一時的な絶望感から自殺が多発した時期を越え「生きねば」という気持が強まったのではないか。そんな分析を聞いたことがあありますが、数字を見ると納得できる気がします。
それ以降は安倍政権でのアベノミクスへの期待から(と思いたいですが)現在も減少傾向です。
毎年、年度の変わる春に自殺者が増えるのは、やはり次年度への不安が最大になるからでしょう。この傾向も安倍政権になった平成二十五(2013)年度はとてもなだらかになっています。
アベノミクスが原点の形で運用され、デフレを脱却し経済を好転させるものならば、今後さらに自殺する人を減らすことができると思います。

しかし、次年度には消費税が上がります。
財政均衡主義の幻に囚われて、反対する国民や、与党内の反対意見も結果的に無視され、決められてしまいました。
この時、持ちだされたのが、財政政策とのバーターです。
アベノミクスの第二の矢:財政出動そのものが、当初から金融緩和中心政策のためのバーターで作られたんなら、もう絶望せざるを得ません。
金融緩和と同等の「大胆な財政出動」ではなく「機動的な財政出動」…この言い回しの裏を今の状況で読むと、そんな疑念も湧いてきます。

思うに、財政均衡主義というのは新古典派経済学・新自由主義とは相性が良いのかもしれません。
政府の関与を最小化して民間・市場に任せれば適切に均衡するという思想。
政府支出を小さく抑えて赤字を出さないように均衡させようとする思想。
両者が常に連携しているとは言えないかもしれませんが、デフレ期に連携されると最悪の結果をもたらす可能性は極めて濃厚です。

そして消費税増税を控える現在、安倍政権で進められようとしている政策のほとんどが、新古典派経済学・新自由主義と財政均衡主義の連携した結果…最悪を現実にもたらす可能性が、極めて濃厚だと言われているのです。

第二次安倍政権の原点はどこへ?
安倍首相はまずはデフレ脱却して経済再生、東北の復興と国土強靭化、と訴えていました。
目標は間違っていないのです。
国家観の確かさ、実行力の高さも歴代首相では代えがたいと思います。
しかし、誤った方法を取っているために目標の実現が危うくなっています。
なぜ誤った方法をとってしまうのかは、思想面で間違ってしまっているからではないのか?そう疑わざるを得ない。
「個別の政策をあげつらって批判するのは良くない。目標を見誤っていなければ、今はそれで良いじゃないか。」
そんな声がよくあります。ボクもそう思っています。
しかしです。
経済を立ち直せなければ、かねてより目標としていた憲法改正の論議や誤った歴史認識の是正、教育改革などを行う力は衰退してくことになるとの警鐘は以前からありました。
さらに言えば、単に経済再生だけでなく新古典派経済学・新自由主義、財政均衡主義などを進めようとする思想の本質に気が付いていかないと、目標自体が歪んだものになってしまうのではないか?
そうだとすれば、もはや正しい国家観を持っているかどうかも疑わざるを得なくなります。
新古典派経済学・新自由主義は日本の伝統的な思想とは必ずしも一致しないからです。(時期によって利用するのは構わないんですが、利用されてしまってはいけないでしょう。)

戦後レジームを脱却するために立党された自民党が「今はそれで良い」と経済再生に集中し。「今はそれで良い」と日米同盟の片務性も目を瞑り。いつのまにか「戦後レジーム」を戦後レジームの枠内でしか考えられなくなってしまってはいないか?

経済問題で、根本にある思想に疑問を投げかけることが出来ないならば、国家観にも「?」を付けざるを得なくなってしまいます。

安倍首相が新自由主義者かどうかわかりませんが(やっていることはそのものですけどね)「新自由主義やめました」と言える程の覚悟がないと難しい。
たぶん無理でしょう。
安倍さんに全てを託す、そのような考え方もおかしいのです。
安倍さんの代わりがいるのか?そのような極論は思考停止のようなものでは?と思う。
スッキリとした明確な答えは求めても永久にやってこない。
それを求めるのは設計主義だ。
問いかけをし続けて何世代かけてでもやっていく気構えが必要なのかも。
それが、いわゆる「保守」(これも明確な形はない)というものでしょう。

もやもやとした不安、恐怖に耐えられるか。
デフレ不況というのは漠然とした不安感が増幅する状況ですから、パニックになりやすく、ショックドクトリンに騙されやすく、誤りに気がつけなくなってしまいがち。
政治経済以外でもそうなりやすい。わかりやすいスローガンが信じられ易くなってしまいます。
何しろ、無駄や余裕が忌避されて、リスクの少ない確実性のある方法、効率の良い方法、合理的な考え…が最優先されてしまうんですからね。そりゃあ設計主義的な考え方が優勢になりますよ。
デフレは新古典派経済学・新自由主義、財政均衡主義を修正するには最悪な状況ですねぇ。

…もう手に負えないとサジを投げたくなりますが、ちいさな声を重ねて大きくし、政府に届けていくことを心がけるしかないのでしょう。



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2014
03.14

「考えてみること」

Category: 政治・社会
地震の話が続きます。
昨日未明に瀬戸内で地震がありました。
けが人が出てるし建物の被害も結構あるようだ。

調べてみると、1596年の慶長伊予地震の3日後、慶長豊後地震が発生(それぞれM7.0)、その後9年間、慶長の大地震と呼ばれる連続地震に発展している。
今回の場合、3年前の東北地方太平洋沖地震から静岡東、伊予と逆順で西へ移動してるみたいに見える。
尤も、2011年以降北海道から九州まで連発してるのでその一部とも思える。
即座に東南海地震の前兆とは言えないんだろうけど、対策を急がないとヤバイ。

5月に作成される国土強靭化基本計画は本当に重要です。
国民が「公共事業は悪」という なんとなくな集団心理 から抜けられれば、被害を小さくする取組みが加速できると思います。

産業や生活の安定に欠かせないのは電気です。
電気が不安定ですと生産業は発展できなくなりますし縮小したり海外に逃げて行ったりします。
つまり我々国民の所得を減らしてしまうわけですね。
デフレ不況と電力の不安定はダブルパンチ以上の悲劇をまねきます。
「経済が大事というが、命の方が大事だから節電を」という意見は一部しか見ていないのでは?と思わざるを得ません。
公共施設や病院、介護施設など電気の不安定が命にかかわる場合もあります。

2月の発受電電力量、大雪で4カ月ぶり前年超え
『電力10社合計の発電の内訳によると、国内で唯一稼働していた関西電力大飯原発3、4号機(福井県)が昨年9月に定期検査のため停止したため、「原子力」は5カ月連続のゼロ。代替する「火力」が5・9%増の614億1千万キロワット時で、2月としては過去2番目となった。』

基幹電源を輸入燃料に頼っているために4兆円近いお金が余分にかかっています。
日本は燃料を”買わざるをえない”ので売る方は値段を下げません。日本は良いカモなのです。
なぜでしょうか?

特に夏と冬、普段の生活にすらギリギリの状態が続いているこの3年。
電気は足りていません。
国土強靭化のための事業にはお金も電気も必要です。
デフレ不況から脱却して所得を増やし社会保障を安定化させるためにも十分な電気は必要です。
想定されている大地震に備えるために、被害を少なくするために、どうするのが良いんでしょうか?

日常生活の時間から少しだけ割いて、少し調べて、少し考えてみれば、何が必要か見えてくるんじゃないでしょうか。


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2014
03.11

3月11日

Category: ひとりごと
今は11時40分。
3年前の約3時間後に東北地方太平洋沖地震が起きました。

3年前の10日は日をまたいで「気に届け」最終回の原画をやっていました。
他にイラストの仕事もあって、スタジオカラーで原画を、自宅でイラストを、という感じでした。
夜型で明るくなってから寝るのはいつものことでしたから特に頑張ってたとかではないんですが、原画作業はアップ日までにどうにか終わりそうな残り数になって少しホッとしてベッドに入った記憶があります。すでに世の中は活動している時間だった。


最近は三陸沖の余震や福島浜通りの地震もかなり減っています。
茨城県沖から東京北部も今年に入っては揺れてないように思います。
でも、油断はできません。
あんな地震が来るとはまったく想像できなかったのですから。


首都直下型地震や東海、東南海地震は30年以内に70%の確率で起こると言われています。
個人で備えられることなら何とでも準備できますが、自治体や国家レベルの備えは政府が動いてくれないとどうにもなりません。
東北の復興に人手不足や機材不足があり、価格が高騰してインフレ状態にあると言われます。
需要に供給が追いつかないのです。
これを是正できるのは民間や市場ではなく国家、政府です。
もう3年経ちますが、すぐにでも事業を起こせるように、短期でなく中長期視点の予算を組んで人や機材を増やせる土壌を作って頂かなくてはいけないと思います。そうしないとデフレ下では民間はついていけません。

原発事故…
拡散した放射性物質が高濃度で堆積し除染しないと住めない場所はあると思います。
しかし、20km圏内の多くのの地域は人が住んで問題ないレベルだという専門家の意見があります。
水素爆発の直後、高線量率の放射線で急性障害を起こした人は出ていません。
放射性物質は拡散した時点から薄まって半減期の短い核種から消滅していきます。
最初に問題になるのといわれるがヨウ素131による被曝でした。
心配された甲状腺癌は今のところ見つかっていません。
福島でのスクリーニング(詳細な検査)で見つかった甲状腺肥大は、その後ほかの県での同様の検査で同程度、或いは福島以上の数見つかっているので原発事故との関連性は考えにくいことがわかります。一般の身体検査レベルで見つからない肥大がスクリーニングでみつかった、ということだと思われるわけです。このレベルだとほとんどは癌に至らずに消えるのだそうだ。

直後の急性被害がない。その後の甲状腺被曝も心配なさそう。となると、ここから数年後に健康被害が出てくることは科学的にあり得ないのではないか?と思えます。
例えば、です。
川のある地点で猛毒が流された。
2m下流で中毒死者が出た。
10m下流で重病。
50m下流で腹痛。
100m先では異常なし。
さて、2m下流で腹痛すらおぼえる人がない状況では50m下流で死者や病人が出ると考えられますか?

震災の年の夏頃にも同じようなことをTwitterでつぶやきました。群大の先生がまとめて下さいましたが、今でもこの考えを訂正しなくてはいけない結果は出ていません。
つまり
福島のほとんどの避難区域は、帰宅して先祖代々の家業を再開し、農作物や畜産や漁業を再興し、ボクらはその実りを頂ける状況ではないのか? と。

「20km圏内浪江町の牛たちは元気に生きています」(←放射線防護情報センター)

避難指示の解除が進んでいますが、3年放置された町はそのまま住めません。
補修や建替えを国家が予算を組み、責任をもって進めないと帰りたくても帰れません。環境づくりが必要ですね。

それにしても遅い。
福島第一原発事故での被害は、当初の緊急回避モードを見直さずに今まで放置しているのが一番大きかったのではないか。
それが風評被害を呼び、受けなくても良い被害を受けさせることになったのではないか。
避難生活や家業を再開できない絶望から寿命を短くしてしまった方々を出してしまったのではないか。
放射性物質による被害でなく、人災だ。
政治家や東電だけでなく多くの一般人も加担してるんじゃないでしょうか。

…もう3年です。
もう、いい加減改めましょうよ。

地震と津波で2万4千人を超える方々が亡くなり、2600人以上行方不明の方がいる。

原発云々で…
亡くなった方々と遺族の皆さんの気持が蔑ろになってしまうこと。
東北全体の復興の必要性が国民全体に共有されないこと。
震災は東京も東海も関西も、日本全国ぜんぜん他人事ではないこと。
…様々な大事なことが、根拠なき原発云々の大声でかき消されることの方が大問題ではないですか?

一時の防災でなく、長期的な強靭化にまで想像力を働かせるのは一般的には難しいかもしれません。
どんなに防災工事をやっても被害はゼロにはできません。
しかし、やり続けないといけない土地にボクらは生きていて、将来の世代もそうやって生き続けるのです。
生活の知恵や技術を常に磨いていかないと生きていけない土地に生きているのです。
まったく想像できないことに、よりマシな対応をするために、継承しないといけない。

厳しい環境が日本の豊かな文化を育ててきたとも言えるかもしれない。
そんな風に言えるのはやるべきことをやっていればこそ、だろうと思います。



自分の主観的な考えが、客観的、道徳的に見て正しく、役に立つといえるのか?
格率を問い続けることが、今日という日を迎える意味なのではないか。

まったくまとまりません。
きれいにまとめるのなんて無理です。


先に進まねば。



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2014
03.08

「明日を夢見て」

Category: ひとりごと
ジョゼッペ・トルナトーレ監督の「明日を夢見て」
時々思い出すことがあって観直したいと思いつつ重い内容に二の足を踏んでいたんだけど、先日購入。しばらく放ってあったのを今日観ました。

やっぱり、ずっしり来ますわ。これ。 ううう…

劇場公開された時に加瀬さんと一緒に観に行って二人とも帰りは無言だった。
たぶんそれ以来、18年ぶりの再会。

観た当時は、映画作りって罪深いものなんだなぁ…という感じ。自分も近い仕事にいる関係で時々思い出しては「映画作りは人を騙して儲ける罪深い仕事なのだ」という負の感傷を勝手に膨らませたりしたものだけども。
観直してみると、それが思ったより間違ってなかった。一方で、まったく間違ってたとも言える。
真実はフィルムに映らないという…映画人にとって…絶望的な現実と、だからこそ作り続けるのだという、なんとも言えない感覚があった。
カンヌ国際映画祭審査員特別賞、アカデミー賞外国語映画賞をとった「ニュー・シネマ・パラダイス」の後、トルナトーレ監督が何を思ったのか。


映画は、現実の一部も切り取れない。真実など映せない。夢の様な明るい未来も客電が付けば消えてしまう。
生の人生で起こることに欠片ほどの影響も及ぼすことなんて出来ない。
映画の作り手にできる事なんて、どうってことはないのだ。
…そこから始めなければ。

そう思わせてくれるのも、映画だ。



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2014
03.01

「泥棒成金」〜心の動きを演出するヒッチコック

Category: ひとりごと
ヒッチコック監督作品「泥棒成金」1955年。
Blu-rayで久しぶりに観ました。映像も音もクリアになっていてなかなか良いです。

南仏ニースの美しい景色。イーディス・ヘッドの素敵な衣装。ヒッチコック初のビスタビジョンによる堂々たるレイアウト(画面構成)。
そしてなんと言ってもグレース・ケリーの美しさを映像で定着するために作られた、と言っても過言でないくらい、本当に美しく撮られています。

脇を固める俳優も個性派で楽しい。
グレース演じるフランシーの母役、ジェシー・ロイス・ランディスは、「北北西に進路を取れ」でケーリー・グラントの母役を。
保険会社員のジョン・ウィリアムスは、「ダイヤルMを廻せ!」のとぼけた警部役でヒッチコック映画に独特の味わいを与えています。

主演はケーリー・グラントで、ヒッチコック映画の常連です。
40年台から50年台のヒッチコックはアクションの多いサスペンスやコミカルさが要求される時はケーリー・グラントを、心情や人間味が要求される場合は好対象のジェームス・スチュワートを起用しています。
「泥棒成金」は南仏のニース周辺の美しい自然や街並みが主人公と言って良いくらいで、特にこれといったテーマもなく、コミカルな観光映画といった体です。
トリュフォーとの対談本『映画術』の本映画の項目では「軽い話だからね」と評して、女性の好みの話がほとんどでした。

テーマらしいテーマがなく、あまりにも普通に、自然体で、肩の力の抜けた映画なために、あまり論じる必要性を感じないのかもしれません。

そのような映画ほど「ヒッチコックらしい」映画であり、「ハリーの災難」には敵いませんが「泥棒成金」も純粋に映画的な一本だと思います。

洗練された演出技術
人物が置かれている状況や心情を台詞などの説明に頼らずに的確に演出するのがヒッチコックの特徴です。
この映画は以下のように始まります。
・次々と起こる宝石盗難事件
・その犯行はかつての大泥棒「キャット」と酷似。引退生活を送る「キャット」ことジョン・ロビー登場
・警察の捜査が始まり、ジョン・ロビーのもとに刑事たちが来る
・猫騙しのような作戦で刑事たちを煙に巻く
・かつてのレジスタンス仲間が経営するレストランを訪れ、仲間たちに泥棒は自分ではない誰かの仕業だと説明する
途中の刑事たちの短い会話以外は台詞は伴奏音楽か効果音のような扱いで、音がなくても何が起こっているかわかるサイレント映画のようです。
台詞はレストラン経営者でかつての仲間だったベルタニとの会話が最初になりますが、ここで台詞と映像のズレを利用した心理表現が見られます。
このシーンのジョンの台詞は「キャット」と似た手口の犯行で自分が疑われ、かつての仲間からも猜疑の眼を向けられている怒り、真犯人を見つけてやるという勇んだ心情であふれているように聞こえます。
しかし、冷淡なベルタニの反応で一見勇ましいジョンが追い詰められているように見えてきます。
台詞と観た印象のズレによって、それぞれの単独では表現されない「何か」が観る人の心に現れます。
音楽で言えば、対位法…ポリフォニックな表現ですね。
これは主に台詞に対する映像のアングルと芝居の対比によって表現されています。
このシーンは仲間たちをおちょくる余裕を見せたあと、ジョンをアオリ気味で捉えるレイアウトで始まります。
怒りを露わにするジョンに対してベルタニの方は椅子に座って冷淡なツッコミを入れるのみ。
会話が噛み合わずジョンに落ち着きがなくなるとカメラは上方からのフカン気味へと切り返すごとに変化していきます。
アオリとフカンの心理的効果はどういうものでしょうか?
人物(建物でもそうですが)を下から仰ぎ見る「アオリ」で撮ると堂々として見えますよね。2者の対比ではアオリで撮られた人物のほうが上位になっている印象になります。
上から見下ろす「フカン」ではその逆に撮られた人物が下位の立場に見えます。
ジョンがフカンで撮られるにしたがって言葉の強さとはうらはらに「ただ強がっているだけ」の印象になり、逆にアオリで撮られるベルタニは大したことを言っていないにもかかわらず「すべてを知っている」ように見えてきます。
このように、台詞(音響)と映像の心理的効果を利用した対位法的演出によって、映画を観る人の「心の動き」を自在に操るのがヒッチコック演出の真骨頂と言えましょう。
「泥棒成金」は数々のサスペンス映画で培われ洗練された「語り口」を楽しむ古典落語のような味わいに達しているのです。

こういうシーンでは台詞の中に心情を説明する言葉を付加したくなります。
そうすればテキスト的には饒舌になるのですが、映画としてのおもしろさは文学とは違いますから、音響と映像の総合的効果を十分使わなければ真に映画的とは言えないのではないかと考えます。

ジョン・マイケル・ヘイズの洒落た台詞もこの映画の魅力です。
台詞と映像の対位法的な演出だけでなく協奏するところもある、そのバランスも非常に洗練されています。

グレース・ケリー
彼女はこの映画のロケで訪れたモナコ公国でレーニエ3世に見初められ公妃となります。
日本文化を好みモナコに日本式の庭園を造園するよう希望していたそうです。
「泥棒成金」では若い刑事たちを巻くためにスポーツカーを猛スピードでかっ飛ばすシーンがありますが、皮肉なことに1982年ロケ地の近くを愛車で走行中に脳梗塞を発症し、カーブを突っ切り40m下まで転落して亡くなりました。
12年後、モナコに本格的な日本庭園がつくられ、そこにはフランス語訳で「グレースの庭」の意味になる茶室「雅園」が建てられたそうです。

ヒッチコック映画では「ダイヤルMを廻せ!」「裏窓」とこの「泥棒成金」の3本に連続で起用され、クールビューティと称賛されました。
ヒッチコックは作品ごとに重要な役を与えたと語っています。
「ダイヤルMを廻せ!」では夫に殺されそうになる妻の役。
冷たい夫に嫌気が差して情熱的な小説家と不倫関係にあるというエロティックな役どころで、やや受け身な印象がありました。
「裏窓」ではカメラマンのジェームス・スチュワートの恋人でファッションモデルの役。
危険をいとわないカメラマンの彼氏からは結婚相手として不釣り合いだと冷たくされるが、最後にはカメラマン顔負けの行動力を見せる。

「泥棒成金」では実に変化に富んだ役どころを演じきっています。
いかにもクールな美女として登場したかと思えば、ジョンに突然燃えるようなキスをする。この前後で態度が全く変わるのが女っぽくてカワイイような憎らしいような複雑な気持ちになります。
ジョンが「キャット」だと見破っていて、スリルを楽しむ幼い恋心から、ジョンの苦境を知るにつれ深い愛情に変化していく。そしてラストシーンでは…。
まるで猫の目のようにコロコロと変わる心情はまさに「女心」そのもので、罪深くてたまらなく愛らしい。
イーディス・ヘッドはその演出意図に応えてシーン毎に衣装や髪型を変えています。
ボクはこの映画のグレース・ケリーでいわゆる「ツンデレ」が好きだと自覚しました(笑)
元祖ツンデレは「泥棒成金」のフランシーなのだ。

最後までわからない「謎」
この映画の最大の謎は、なぜベルタニがジョンを陥れようとしたかです。
レジスタンスの仲間たちと結託し「キャット」とそっくりの手口でジョンを宝石泥棒に仕立て上げる理由だ。
かつては泥棒だったジョンが罪滅ぼしにレジスタンス活動に協力した過去に何かありそうです。ベルタニたちは生粋のフランス人でジョンは元々アメリカ人の設定だと思われるので、その立場の違い、悠々自適の生活をするジョンへの嫉妬や猜疑心で彼を陥れようとしたのかもしれない。
しかし、説明がないまま映画は終わってしまうのです。
スパイを題材にした映画でも争奪する「秘密」が何なのか最後までわからなかったり、「敵」の組織が結局どうなったのか不明なまま終わるパターンがよくあります。現代では許されないオチですが、当時はヒーロー・ヒロイン中心で決着が付けば良かったのでしょうね。
これは、ヒッチコック映画のいつもの手「マクガフィン」に違いない。
つまり、意味ありげなようで実は何の意味もない、物語を進めさせる「単なる仕掛け」にすぎないのでしょう。

現代ではその「単なる仕掛け」に時間と労力を割かねばリアリティがないと批判されてしまいます。
しかし、ヒッチコックが求めるリアリティは、目に見える仕掛けの説明ではなく、映画からしか感じられない、ボクら観客の目に見えない「心の動き」なのです。


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