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2010
12.28

2010年

Category: ひとりごと
ちょっと早いけどまとめ的に。

ボクの一年は一言で言えば「まったり」
年始からの「グレパラ」と「Angel Beats!」6話の怒涛の4ヶ月ちょいからこっちはまったりでございました。
ん。1/3は忙しかった、てことか(笑)

7月に「アインザッツ」連載が終了して月イチの定期仕事も終わってしまうとあとは準備中の仕事のみだから
アニメーターとしては「暇!」と言って良い後半だったわけだ。
イカン。イカン。もったいないもったいない。

来年からは今年半分のツケが来ることだろう。
否。
そうさせんとイカン。
これまで経験したことない仕事量とプレッシャーに見舞われるのはわかってる。
静かな年末に覚悟を決めておかないとね。


静かな、と書いたけど。ほんの少し周りを見れば…そうでもなかったな。
今年も何人かの先輩や同世代の現役が亡くなってしまった。
みなさん多忙による不摂生を厭わず作品作りに集中し命を削ってしまった(かもしれない)方々です。
作品を残せるということがボクらの幸運だし、残すことができたあの方々への敬意は一言では表せません。
作品が時間という高くて厚い壁を次々越えて生き続けるに違いない、そう思います。

もう少し広げて見てみます。
アニメやマンガの世界では、先頃可決した都条例の件で騒然となりました。
基本的には
物によって置く場所を考えるべきと思います。
現状でもやられていますが、不十分な所もあると思う。というのがひとつ。
もうひとつは、自由はそれ以前に責任や義務がありその上で勝ち取っていく…創りだしていくものだということ。
ルールは人間だけでなく動植物の世界にもある生き残るための基本。
長い歴史の中で培ってきた知恵です。
しかし「表現行為」というものは時の常識に左右されてしまう事が多々ありました。
道徳感、古今の戦時規制、その時々のイデオロギーなどによって、今「芸術」として美術館に誇らしく飾られている美術や立派な画集に収まってる大衆的な絵画。
舞台芸能や映画。
専門家の手で保存された楽譜やCD店などで売られてる音楽もそのような様々な洗礼を受け、排除されたり一時忘れられたりしながら存在感を示し得たものです。
一種、自由を勝ちとった表現者の産物と言って良いと思う。
歴史の浅いマンガやアニメにしてもそろそろ同様のことが起こってます。
いや、日本のマンガ・アニメの歴史は平安期まで遡るのが可能な伝統芸能だと思ってるけどね。

ひとつには、どんな状況があろうとも作る意思のある人達は作ってきたという事実がある。
そして、作り手は時の常識や規制などを甘受して来たわけじゃないということ。
昔と違ってその方法はたくさんあるしね。
まとまって反対運動をすること然り、個人的に意思を表明すること然りです。
幸い日本にはまだまだ自由があります。法(ルール)を守った上でですが自由と言って良いでしょう。
ボクも何人かの政治家の方にメールなどで意見申し上げました。
返事や手応えはまったくないけどね…。
ボクは作り手なので極力仕事で示していかなきゃ、と思いますが。さすがにまどろっこしいのでメールしちゃった。

表現するからには受け手の反応がなくてはやっていけません。
ボクは仕事としてやっているので、表現物(作品)は誰に向けるべきかを明確にしなくてはいけません。
その時点で完全に自由ではありません。
そして、観てもらうからには楽しんでいただくては次に繋がりません。
自分たちの利益とお客さんの利益、両方がまぁまぁ満足しないと続いていかないことが最初から明確です。
この時点で「今の」受け手に阿ってしまったらすぐに限界が来るでしょうね。。。
「今の」というのがキモなんだけど、ここを破るには高くて厚い壁を越えないといけない。
「売れそうな前例」に従えばある程度見える。それに飽きられたら前例を超える何かを、そう考えるのが通常ですね。
高くて厚い壁、というのは「売れそうな前例」にないことを忌避するぼんやりとした感覚です。
お金を出す側と作る側の両方にあるものですが、まともにぶつかって越えられないと思ったときに手を出しやすいのが「刺激」でしょうか。これは麻痺してエスカレートしやすいものです。
その時、自分の「自由と責任」が問われることになる。
あくまで、ボクの活動範囲での考えですが、商業作品では人に見てもらう上での責任ということ無しに自由を言い行うのは大人気ないことと考えます。

これは法を作る人達に対しても思います。

現行法で不十分ならばどこがどのようにということを明確にしないといけないし、関係業界との取り組みで出来るかどうかの議論も必要でしょう。
今回きっちり成されていたかは疑問です。これも「高くて厚い壁」というものでしょう。
その壁を超える努力を十分せずに法律を上乗せするってのはどうなの?と。そう思います。


もっと広げれば国政になる。
去年の9月から「政権交代」を目標としてきた民主党が与党になり、鳩山政権になり6月で終了。
菅政権は現段階で内閣改造の窮地に立たされている。
一番窮地に立たされてるのは日本とその国民、ボクらですがね。世界も呆れてるだろうけど。
結論から言うと「政権交代」をしちゃったらやることが分かんなくなった。てとこだろうか。
現在、マニュフェストの原点に戻るべきという小沢派と方向転換し続ける菅派の内ゲバ状態ですね。
菅内閣は「悪者・小沢」を成敗して支持率浮揚を狙ってるようだけど、野党時代の敵・自民党がいなくなって身内に敵を探しだしただけですね。
誰かを落とさないと上がれない。これどんな世界でも共通、ニセモノの印です。

なにがアブナイって政権交代に失望して政治への関心がさらに落ちることでしょう。
国民が金出して選んで舵取りをさせてるんだから、選ぶ権利も義務も責任もあるんです。
その上で、言う事を言えば良い。
どんどん言えば良いと思う。
嫌われるくらい言えば良いと思う… う~ん、嫌われるのはイヤかな?

来年は早いうちに選挙して欲しいな。
ボクはその時も自民党に入れますよ。野党を経験した彼らに期待したいから。
「どこもダメだから…」って?

来年は高くて厚い壁を越えねば、そう思います。





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