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2011
03.23

Twitter3月22日のプチまとめ

Category: ひとりごと
3月22日に「西部邁ゼミナール」3月19日放送回を(公式サイトの録画で)見て思ったことをTwitterでつぶやきました。
こちらにもまとめておこうと思いまして転載しておきます。
たまたまその直後に都知事選に関して現都知事、石原慎太郎氏の会見があったのでそれ関係もひとつ載せました。



「西部邁ゼミ」3月19日 http://bit.ly/eKMqrO (←コピペで飛べます)西部さんらしい言い方もあるけど、「思想家・学者としての問いかけ」に徹してることが言葉尻から伺える。都知事もこのくらいの慎重さで言葉を選んでいただきたい。

西部氏を意識したのは「東京に原発を」の広瀬隆氏を招いた朝生だった。その時にも安全なるものの例で「では車も廃止するべきでは」と言ってて、イヤな物言いをする人だと少々憤慨した。20年程経って自分も紆余曲折した今聞くと考えさせられることが多い。

極論で議論を封殺しようとの意図ではなく、問題はここでも言っているように、危機管理の限界を知ることで技術の進歩への謙虚さ真剣さを問うこと。それでも人間は後退を選ばない。ではどうやって前進するか?その為に必要なものは何か?…ということ。聞く方にも謙虚さ真剣さが求められるがそれは当然。

「『だから』で直結しない考え方」を山田太一氏のエッセイで読んだ。これも20年以上前のこと。「だから」ではなくせめて「だとすれば」で繋げてみる。ある事象から結論を出そうとする時の話です。自分にとって愉快で心地良い都合の良い方向に流れ易い「だから」じゃなく「だとすれば」で立ち止まる。

少々しつこいようだけど、今回の西部ゼミでもそのことを思い出した。世間の流れがある方向に強くなる時も立ち止まって考えるのが良いと思う。今どんな流れが起きてるか?どこでどんな風に?何故?…特に物作りをする人は、そんなことにも意識を向けないと。

別な例では、許光俊氏という音楽評論家が指揮者クナッパーツブッシュについて「お店の音楽に合わせて指揮真似をしてしまうような人には理解しがたい指揮者」と何かで書いてて、これもイヤな言い方をするなと憤慨した。こちらは今も疑問を持ってるんだけども、文章の趣旨は既存の価値観を疑う視点。

(Ustreamでの石原都知事の会見を聞きながら)
UST画面の下に表示されてるTwitterのTLを見ると、無関係に見える物事のあらゆることが繋がってるという視点が欠けてる気がしてしまう。これを予感してさっきまでの長文書いてた訳じゃないし難しい話とも思えない…。でも我欲を直視するのは難しい。耳が痛い話は否定したくなる。

…以上

以下追記
許氏の文は”名指揮者百選”みたいなムック本だったと思う。
クナッパーツブッシュがこれまでの慣例にとらわれない独自な視点で取り組んだ姿勢を説明するために出した例だったと思う。
過去~現状(その流れ)を無意識に受け入れてしまうことと相容れない感覚、複雑で多角的な視点の持ち主だ、という主張でしょうね。
たぶん、音楽に体が反応する純粋さを否定したものじゃないと思うけど、どこかに単純さと複雑さの優劣を示唆する感じがあって今でもあまり良い例えじゃないと思ってます。

UST画面の下に表示されてるTwitterのTLを見ると…の部分。
もちろん全員がそうだったわけではありません。
思いの外「しっかり聞くべき」というつぶやきがあったのも印象的だった。

とかく出来上がった予断でモノを見やすい傾向は自分にも当てはまります。
西部邁氏、石原都知事の論調の全てに賛同するわけでもなく是々非々である、ということですが
自分が重要視してることを基準にして誰がどんなことを言い行動してるかで支持・不支持が出てきます。
自分の都合で是を認めないことも非に目を瞑ることも良くないのだろう(是非を如何に選択するかも大事)と思います。
それでも、選ばねばならない時に何を選ぶか?が問題でしょうね。







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