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2012
05.14

「憲法論議に潜む罠」

Category: 政治・社会
Twitterで経済評論家の上念司さんが憲法議論における「新無効論者との対話」をまとめています。
追加があると更新してるようです。

ボクが5月3日に書いた憲法改正についての考え方は(中身に相違があるかもしれないけど)上念さんと近いものがあります。
彼が問題視しているのは「占領時代に押し付けられた憲法は無効である」という主張に固執するあまり「現行憲法を改正するのは押し付けを認めることになるからダメ。無効、破棄して帝国憲法に立ち返るべき。」という論を一歩も譲らず、却って憲法議論を阻害している。
結果的に現行憲法をずるずると使い続けようとする勢力に加担することになるのでは?ということ。

こういったことは他にも思い当たることがあります。
「脱原発」が全てに優先するという主張。
再稼働はどんな理由があろうと認めない。こういった「止める」に固執した主張も却って脱原発の実現や原発災害の危機回避から遠ざけてしまうのでは?と危惧します。
原発に関しては別の機会に書きたいので、このくらいにしますが。

身の回りの些細な出来事でも似たようなことはありますね。
妥結は案外難しいのです。

現行憲法の問題点をざっくり書くと
・占領時代の主権のない時にGHQ主導で作られたこと。
・自衛権に欠陥がある。
・権利の重視に偏って義務・責務の意識に欠けている。
・改正条項が厳しすぎて事実上改正不可能。
などです。

自民党の改正草案では、問題の「前文」が大幅に書き換えられています。
現行憲法の一部抜粋すると「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」
目を瞑り耳を塞いでるかのようなこの前文に現行憲法全体の問題点が集約されています。
日本国民を主語にした独立国としての宣言でなければおかしいでしょう。

この前文が前提となって「陸海空軍とその他の戦力を保持しない。」となっています。集団的自衛権も持ってはいるが行使はできないのが現行憲法で不自然です。
元々軍隊を保持させないことを書いているので、その後(米国に)許されて組織した警察予備隊が自衛隊の前身。
軍隊が警察のような法律のもとで動かざるを得ないのは他国に例がなく国際協力で問題が多々あります。
改正草案ではハッキリと「国防軍」と明記しています。
(自然権としてある)自衛のための武力行使や集団的自衛権の行使、軍事法廷の設置は「普通の国」なら持っている権利です。
自民党の憲法草案は戦争を放棄する大前提と共に明記してありますが当然のことと考えます。
自分から戦争(武力恫喝)をしかけることはしない。日本に戦争(武力恫喝)をしかけて得があると思わせない。
これが9条改正の基本でしょう。
同胞の拉致を阻止できず、取り戻すことも交渉すらも出来ない現行9条は平和も日本国民の生命財産も守れていないのです。

また、現代の戦争が情報や経済を主戦場にしていながら軍事力の背景なしには発言力が得られないことも、この改正に重要な視点だと思う。
武力恫喝をしないのが基本ですが、背景として持っているか持ってないかでは全く違います。

国防に関しては、最初に書いた上念さんの危惧は「核武装」にあたります。
「核武装なしに国防を語るなかれ」と言った(日本では)極論を持ち出すことが国防論議、憲法改正論議を困難にしています。
「核兵器を持つことになるんなら憲法改正も危ないんじゃ?」という感覚的な反発が改正論議を萎ませることになる。
前にも書きましたが、持つかどうかを堂々議論できる状況になれば良いと考えます。
核武装議論は必要と言っただけで故・中川昭一さんは大バッシング受けた。
議論させない空気こそが日本を武力を背景に屈服させたい(国内外の)外国勢力に加担してしまうことになると思う。
社民党の福島さんなどは「そんな国はない」と頑なに信じているようです。
もはや事実を受け入れて思考できない状態のようですが、意図的か結果的かはわかりませんが、それで得をするのはアメリカ、中国、韓国、北朝鮮でしょうね。


福島さんは、権利の保証で現行の「公共の福祉を害しない」が改正草案で「公益や公の秩序を害しない」になってるのも問題だと言っていた。
その理由は公を国家権力と解釈して国民の自由を阻むことになる、と考えているようです。

そうでしょうか?
「福祉」は「公的配慮によって社会の成員が等しく受けることのできる安定した生活環境。」と辞書にあります。
配慮は誰がするんでしょうか?
福祉政策は政治が決めてますよね?福祉などは時の政権によって変わってしまいます。
そんな価値観を根拠に国民の権利を規定して良いのか?というのが自民党の憲法草案の趣旨だと考えられます。
「公益や公の秩序」は政治も行政も司法も国民の意識も含んだ、その国の共有概念だと考えます。
現行憲法の記述にはキリスト教圏の契約概念があるのでは?と思えます。
日本には良くも悪くも契約概念が薄い。前にも書いたように共有できる考え方、信頼し合う心を持った国民性なので必要なかったんですよね。
改正草案は日本の文化に沿った日本人にとって自然な概念を文章化したものなのでしょう。
日本国民が長い歴史の中で育てた「公益や公の秩序」を害しない限り国民の活動が保証される、訳ですね。
国民の良識が試されます。責任も負うことになりますね。
でも、何か困ることがあるでしょうか?

他の改正草案の重要な点は
天皇を国の元首と明記する、こと。
改正条項を緩和して国民の総意が反映するようにすること。
ですね。
安倍晋三元首相がまず改正条件の緩和だけでも、と言っているのは実に現実的です。

全てを一気に改正できなければダメだ。
という頑固な姿勢も議論を停滞させ憲法改正を遅らせることになってしまいます。
主権回復から60年。
もう繰り返しはゴメンです。


ボクはこういう話を眉をひそめられようが書くことにしています。
「専門家の知識なしに語るんじゃない」という圧力も気にしない事にしています。
無論、出来る範囲で調べて間違いがないように気をつけてはいますが。

「正確さや専門知識」に固執するあまり「専門知識を持たない者は語るべからず」という論調が、疑問を口にしたり考えを表現する行為を阻害することにならないか?
結果的に議論そのものを封じることになる無言の圧力には同調できません。
この罠は、誰かが悪意を持って仕掛けるものじゃないのがほとんだと思います。
むしろ、自ら罠にはまってしまうのです。
それだけは避けねばと考えてます。



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