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2013
04.04

「神道と日本人」

Category: 政治・社会
いま山村明義さんの「神道と日本人」をメインに読んでます。
山村さんはお若い頃、漫画やアニメに憧れてその道に進むことを考えたこともあるそうで(勝手に)親近感をもっております(^_^)

神道(しんとう)というと何か特別なことのように思うかもしれない。
ボクもそんな風に思ってきた一人なのだけど、ずっと近い親しみの持てること。
社会全体に地下水のように流れつながっていることなのだ、ということがわかってきました。

神道には決まった教義があるわけでなく、古来より神職が行う祀り事、祓いや祈りによって伝えられている。
この本は、全国の神社へ取材し神職のみなさんの体験や思いを集積したもので、それによって「神道と日本人」のかたちを浮かび上がらせるものです。

目次でおおまかな内容がわかるかと思います。
・まえがき:神道の持つ普遍性と汎用性に気づいてもらうために
・第一章:日々の営みの中に根ざす誠心(まことごころ) 感謝の思い、祈る心
・第二章:自然を敬い、自然と共にあれ 「鎮守の森」に息づく日本の命脈
・第三章:聖なるものへ近づくために 「禊ぎ」にこめられた晴明正直
・第四章:災厄から蘇る転換点 禍事を逆転に導く「祓へ」の効用
・第五章:凛として、今を生き切る 武士道精神と魂の帰る場所
・第六章:海を越え、つながり合う 神道のもてなしの心と寛容性
・第七章:守りつつ、切り拓く 神職たちの新たなる試みと挑戦
・第八章:時空を超えて宿る神々 出雲、高千穂が紐解く神の座す場所
・第九章:古くて新しい日本のかたち 熊野と伊勢に秘められた蘇りの力
・第十章:崇高なる祈りの先にあるもの 宮中祭祀が映し出す永遠の祭り


神道と日本人 魂とこころの源を探して神道と日本人 魂とこころの源を探して
(2011/09/14)
山村 明義

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現在は第七章を読んでます。

ボクたちが自然にやっている仕草や生活習慣の中に、「察しと思いやり」や「おかげさま」の心に神道は存在している。
神道、神社がとても近くに寄り添っていること。
古いものでなく新しく生まれ変わり続けていることを垣間見ました。
「神職」といっても様々な生き方があり一様でないことを知りました。

神社には針葉樹だけでなく広葉樹を混ぜています。
保水や土質の保全、エコロジーや防災減災にも役立ってきたそうです。
都会に住んでいると神社のこんもりとした森林は心が休まります。
特に意識することなくやっていることの多くに、神道に根ざしたものがあるんですね。

また、生き方や社会のあり方としても
私利私欲の追求でなく滅私によって全体に奉仕することが回り回って自分にも益をもたらす。
遠回りでも、少しずつ。
これが日本人の成長や進歩への感覚の基礎だろうと納得出来ます。
欧米的…というか日本でも近頃喧しい「革命」「改革」という一気にいっぺんに変えようとすることとは違うものですね。
文化の育ち方が違う欧米のやり方を真似しても上手くはいかないものだと思う。

神々と土地と人。
古代ギリシャで生まれた「民主政」の思想の源泉と日本の神道は似ているな、と思いました。
ギリシャの民主政はその後「民主主義」へと形を変えフランス革命や第一次大戦によって勝者の論理に利用されながら歪に変化してしまった。
戦後日本にも押し寄せ、古来からの日本独自の「民主」観はずいぶんと変質してしまったように思います。
神道を戦争と結びつけ「国家神道」として退けた戦後の思想や教育の罪は重いと思う。

気の遠くなるような古来から修繕を繰り返して育てられた「ひとつながり」の日本の文化がたった十年かそこらで「革命」的にひっくり返るものではありません。
「命をいただく」感性や自然への畏れ、頭を垂れる他者への気遣いなど世界に誇って良いものです。
それが一度や二度の失敗で否定されるとしたら、そんな偏狭な社会が良いんだろうか?
欧米的なものでも取り込んで日本流にしてしまう強さをもう一度見直さないといけないかもね。


スペースシャトルの搭乗員が参拝に訪れる神社。
女性宮司のご苦労。
ハワイの神社。
東日本大震災を乗り越えようとする宮司。
神道の精神で大企業経営を両立する宮司。


読んでいくとボクらとそんなに大きな違いはないように思えてきます。
職責の違いはあっても根っこは同じだと。

アニメスタッフの待遇問題が時々俎上に上がりますが、多くのアニメ会社が中小零細で個人の集まりです。
アニメ業界というと広そうに見えますがそれほど大きくはない。
この業界(社会)が個々の利益の最大化や均等化、効率化よりも「より良い作品を作る」という目標でほとんど滅私奉公のような働き方を続けてきたのも(思い込みを覚悟の上で書けば)「神職」のように思えてきます。
アニメ業界には是正しなければならないことが山ほどありますが、根っこのところを置き忘れてビジネス論的にやっても良い結果は得られないでしょうし、簡単には答えは出ないでしょう。
問題は抱えていても、我々にしか出来ないことをやっていくのであれば、呑み込める範囲で呑み込む覚悟も必要かと思う。
その上で直すことを面倒がらずに修繕して。

出雲の博物館にあった たたら場や石細工、建築というのは産業ですよね。
神社を支える一人ひとりは職人、技術者、学者だったわけで、古来より神々の下で公的資本形成に、商売に、勤しんできたわけです。

アニメに限らず、「日本型経営」というものが神道と根を同じくする感性よって作られてきたのではないか。
神道、神職が特別なのではなく、特別になってしまった社会全体の方が歪んでいるのかもしれない。
そんなことを思いながら読み進めています。


安倍政権では
経済に始まって、憲法問題、国防、エネルギー問題など国の形を議論する機会が増えています。
これからもっと増えてくると思う。
安倍がどうだこうだと言う前に。
方法論の良し悪しを判断する前に。
ボクら日本人と日本(文化)の基礎を知らないと小手先のものになってしまいます。

まだまだ勉強中。



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