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2013
04.09

三橋貴明「目覚めよ! 日本経済と国防の教科書」

Category: 政治・社会
世界に通用する文化の発信。
それには個性を突き詰めること「日本らしさ」「日本とは」という命題に取り組む必要があると思う。


「国民経済と国防」というテーマの研究、書籍が非常に少なく、石沢芳次郎氏「国民経済と防衛問題(有信堂出版)」一冊のみということだそうです。
三橋貴明氏のブログから一部引用)「わが国の防衛論議はどちらからというと政治論であって、経済論としての防衛論議は、まことにすくない。このような傾向が一般化しているのは、わが国の従来の防衛論議が、主として自衛隊の合憲か違憲かの問題をめぐる憲法解釈論と、日米安保を堅持するか否かの争点を中心とした防衛体制論とを焦点として展開され、そのなかでいわば旧態依然とした理論闘争がくりかえされていたため、現実的な防衛論がそれほど発展しなかったという事情によるものと考えられる。」
国防というと実生活と無関係な、どこかフェンスの向こうで勝手にやってることのように思いがち。
しかし、現実には「その国の国民経済の」かたちに密接に関係した私達の大事な問題なのですね。

三橋貴明氏の手によって43年ぶりの「国民経済」「国防」の一冊が出ます。


目覚めよ!  日本経済と国防の教科書目覚めよ! 日本経済と国防の教科書
(2013/04/10)
三橋 貴明

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安倍政権による経済政策「三本の矢」
「一本目の矢」大胆な金融政策によって円高・株安に喘いでいた市場(デフレで得をしていた人達もいるらしいけどね)が一変、新聞など「3年数カ月ぶり」「4年ぶり」という文言とともに円安・株高、景気回復への期待を報道しています。
民主党政権の3年数ヶ月が名実ともに無きものになりそうで誠に、誠に、誠に、慶賀なことです。
それ以前の自民党の政策もデフレを解消できなかったが、第二次安倍政権はその経験を踏まえ反省し学んで今回の「三本の矢」を打ち立てたのです。

今後は「二本目の矢」機動的な財政政策で増えたお金をどう使っていくかが重要になってきます。

「三本目の矢」成長戦略は民間投資を促進する方法論を議論し具体策を出すこと。
竹中氏が提言している構造改革・規制緩和的な政策は小泉政権時、デフレ脱却が十分でない時点でやってしまった失敗例ですが景気が良くなれば益はあります。
一本目、二本目が十分軌道に乗ってから施行すべきと考えます。
それまでに具体策を議論するのは構わないしどんどんアイディアを出して準備を進めるのは良いと思います。

「クールジャパン推進会議」もその一つです。
報道からはアイディアの断片しか伝わって来ませんが、一回目の議事録ではとても興味深い議論がなされています。

クールジャパン推進会議:内閣官房
↑このページ内に議事録があります。第二回分は準備中。

議事録からは「日本とは何か」という命題が浮き上がってきています。
この命題に取り組むことは戦後レジームからの脱却の基礎でもあり。
軍事、憲法の個別論より先に、「日本とは」をまず問い直すことが必須だと思います。

「クールジャパン」コンテンツも同様です。
日本独自の文化とは? 個々のコンテンツがつながって広がっていくにはどんなアイディアが必要か。
ボクらの根っこ、地べたを再確認することから「クールジャパン」を考えなければ、良くて皮相的な流行、悪ければ方向を誤り萎ませてしまいかねません。

「国防」も「文化」も切り離した個別な議論でなく、「国民経済」の中でどう活かされるべきか議論する必用があるように思います。
政策作りは政治家や有識者なのかもしれないけれど、その議論を作り手が知らなくて良いわけはない。
作り手になりたいみなさんにも無縁な話ではないはずだと考えます。

アニメが描いているのは現実。
表現として絵を使い、異世界や超常な設定、メカやクリーチャーなどを借りているにすぎない。
アニメ制作者がアニメしか見ず、「アニメ世界」を現実と誤認して再生産(コピー)を繰り返せば自ずと閉塞し疲弊します。
それは受け手へ伝搬し、特定層にしか受けない市場過疎化のループを産んでしまう。
政治、経済、国防…どの分野にも同様の病理を見ることがあります。

最後に少々長いけど伊福部昭の言葉から。
『「(略)ヨーロッパの美観などという、我々の血液にないものに追随してもしようがないのではないか。岡潔さんは、民族の美観が確立するには五千年かかると書いているんですが、それはオーバーにしても、百年やそこらで美観は変わらない。日本もヨーロッパ化したというけれど、玄関で靴を脱ぐところかして、相変わらず日本があるので、自己に忠実であれば、どうしても民族的にならざるをえない影響を否定するほど潔癖なのも好きではないので、影響は受けても真似はやめたいと考えております」
しかしこの発言から、伊福部を偏狭な地域主義者とみるのは誤りだ。(略)なぜなら、民族の伝統を忘れたところに真の文化はなく、よってそこには、ポジティヴな成果が生まれる余地はないのである。
結局、話はこう落ち着く。「芸術はその民族の特殊性を通って共通の人間性に到達しなくてはならない
つまり、もし人間が民族の枠を超えられるとすれば、それは、民族性を追求しきり、その底の底に潜んでいるかもしれぬ人間共通の基盤にまで突き進めて、初めて可能というのが、伊福部の見解なのである。
(「伊福部昭の宇宙」第三章”民族意識とオスティナート”片山素秀 P69〜70)

先の石沢芳次郎氏の著書の
「一国の防衛力建設に要する防衛支出の規模や防衛産業の態様などが、その国の国民経済といかなる関係にあるか。あるいはいかなる関係を生み出しつつあるかなどの問題を究明することは、内外情勢の如何にかかわらず、きわめて重要なことであるはずである。
と対応しますね。

軸足をどこに置くか。
「日本らしさ」について、自信を持って再確認することから始めたい。



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