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2013
08.16

「靖国神社参拝」

Category: ひとりごと
8月15日 靖国神社へ参拝してきました。

「終戦の日」に靖国神社へ訪れたのは初めてで、憲政史研究家の倉山満さんが主催する倉山塾の昇殿参拝に参加しました。
経済評論家の上念司さんも一緒です。
上念さんとは消費税についてどうよ?とか、ハーロックの話とか貴重な見解を伺うことができました(笑)
そして、古谷経衡くんやKAZUYAくん、若い保守論客に期待ですね!とガッチリ一致。

参拝後には参院選で当選された赤池議員や木原議員も挨拶にみえまして大変盛り上がりました。


さて、時系列に沿いまして。

九段下に着いたのは午後3時前。
地上へ上がるエレベーターのあちこちに警備員の誘導があり、さすがにこの日は人が多いんだなと実感。
ボクの横にいた友達連れの若者が「腐っても日本人だからなぁ」などと喋っていました。照れたのか自嘲気味なのが可笑しかったけど。
普段は政治や歴史的なことはあまり意識しなかったのかもしれない。
そういう人に来てもらいたい場所なんだよな、と少し心が和らぎつつ第一の鳥居をくぐりました。

2013815.jpg

↓以下長いので続きます↓


境内は人でいっぱい。
若い人が多いし、カップルもたくさんいます。
お子さん連れのお母さんも。
例年もこうなんだろうか? それとも今年は少し事情が違っているんだろうか?
予想してた「右翼」団体は目につきません。
軍服をまとった人は目立ちますがちらほら、愛国的なTシャツの人がちょっと多い程度で、渋谷の街と言ったら言い過ぎだけど、新宿か恵比寿の街の賑わいと見た目はあまり変わらないように見えました。
つまり普通の日本人が集っているのです。
それから欧米系の外国人もけっこういましたね。

倉山塾では当初、昇殿参拝の人数を27人で申し込んでたようですが、実際には130人が集合!
社務所の人と打ち合わせて場所を開けてもらうのに15分ほど待って拝殿へ向かいました。

広い待合室から拝殿へ向かう通路には手水舎があって他の神社と同様に両手と口を清めます。
そこまでが比較的新しい建物で拝殿への渡り廊下は時代を感じる木の質感でした。
拝殿までたどり着くにはもう少しかかります。
通常の参拝客がお参りする建物の中で一旦集まって正座し、宮司の短い説明を聞きます。
そして、ようやく拝殿へ。
人が多いのでラッシュ時の通勤電車のようです…。
宮司の所作に合わせて、二拝二拍一拝をします。
若干慌ただしくてしっかり感謝の祈りを捧げる時間がありませんでした。

渡り廊下へ出ると巫女さんが盃に御神酒を注いでくれます。
本殿へ向けて一礼して一気に飲み干しました。
この時、しっかりと「ありがとうございました」と祈ることができました。

遊就館
その後は、遊就館を見学しました。
「靖国神社に参拝」と言っただけで怪訝に思われることが多く、特に遊就館は
「右翼的だ」「戦争を賛美している」とか言われたりしますが
 
どこが? と思います。

戊辰の役以来の近現代の歴史が淡々と解説されてるだけですから。
…まぁ、戦後教育やマスコミが流布してるのとは違う、ていうか歴史教えないもんね。

展示は硬派な解説が多いのですが、やっぱり「本物」がたくさんあるのが凄いです。
武器だけでなく、服装や、兵隊が使っていた生活品、文書や手紙もたくさんある。
公的な文書だけでなく兵隊が個人的に送った手紙も展示されています。
印象的だったのは便箋一枚、10行ほどの短いラブレターでした。

ラブレターと言っても当時の文章なので硬い文章なんだけど、それが却ってどうしようもない気持ちが表れているようで、しばらくその場にいて何度も読み返してしまった。
(おかげで倉山塾のみんなとはぐれてしまったが)
戦争が始まって、戦地へ赴くことが分かっていて結婚した兵士。
その妻、照子さんへ戦場から送った最後の手紙でした。
内容は、戦況がかんばしくないことの報告と国のために死を決意した気持ちが7行ほど書かれた後、照子さんへの気持ちが書かれています。
良縁あれば遠慮はしなくて良い、父母によろしく、と自分が死んでも妻と家族に幸せになって欲しいことを願っていた。
そうは言っても、生きて帰って抱きしめたかったに違いない。
現代人だって国を背負って生きてるはずなのに、平和ボケした自分にはそう思わずにいられませんでした。

妻の照子さんはその後は再婚せず、子供に恵まれなかった(時間がなかったんでしょうね)ことから、病気で亡くなる子供が多かった戦後に医者になったそうです。
日本のすべての子供を自分の子供として。
解説では現在97歳で現役だそうだ。
奥さんも夫に負けず、国のため公のためにがんばっておられる。

戦争がもたらした悲劇と公のために尽くす尊さと。
様々去来した1時間でした。

パル判事の碑
遊就館の向かいには軍と共に戦った犬や馬、鳩の慰霊碑も建っています。
その正面、館側に母子像がありその隣にインドのパル判事の碑があります。
堂々とした写真の横には言葉が刻まれています。

『時が熱狂と偏見をやわらげた暁には
また理性が虚偽から
その仮面を剥ぎ取った暁には
その時こそ正義の女神は
その秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを要求するであろう』
ラダ・ビノート・パル 「東京裁判」判事


この言葉が示すように、戦犯赦免運動の署名が4000万人も集まり、主権を回復した1952年に国会で名誉回復が決議された。
国際法に反するこの裁判が、世界人権宣言で「有罪とされることはない」判断を避けるためにこの宣言の採択直前に刑が言い渡されたといいます。
誠に卑怯卑劣でございます。

パル判事も、来日して日本擁護をしてくれたストーン監督もありがたい。
しかし
外国人の言葉をそのまま借りて主張するのではダメだ。
真意を探って自分の頭で考えて、自分の言葉として表現しよう。
熱狂と偏見に惑わされず、自分たちの意思で、虚偽の仮面を剥ぎ取らなくてはいけない。
そうでなければすぐに空気に流されて、秤を平衡に保つことは危ぶまれましょう。
戦争で作られた「秩序」を戦争や革命のように性急に、強引に、潔癖に、変えるのでなく、時をかけ、世界の中の日本として和をもって変えることを要求し続けましょう。
そういう気構えで、正しい歴史を学んで正々堂々じっくり参りましょうぞ。


昇殿参拝に時間がかかりましたが、ここまでで三時間ほどでした。

日本の近代化に尽くしてくれた御霊に祈りを捧げて、遊就館で歴史を振り返る。
多くの軍人はボクらと変わらない一般の人たちで、国のために進んで兵士になった人もいれば、気の進まなかった人、行きたくなかった人もいたでしょう。
一兵隊の遺した手紙。
穴の空いた鉄帽。
焼けて歪んだ飯盒。

本物が語りかける迫力は凄まじい。
映画や小説でなく、ボクらと確実につながっている人たちの歴史が詰まっていた。
とても数時間いただけで「よし」と言える所ではありませんでした。

戦後の言論空間ではあまりにもGHQの進めた戦後政策に染まりすぎ、一方的な言説がまかり通っています。
どのように感じるか、どのように考えるかは人それぞれでしょう。
日本人が「日本」を主語として証言するこの場に、もっとたくさんの人が訪れて、それぞれに感じて考えてほしい。
そう思いました。

帰り道、改めて大村益次郎像を見上げていると、母親と大学生くらいの二人連れが近くにいました。
息子は何度も本殿の方を振り返りながら歩いています。
「ここは、日本人なら来なきゃいけないとこだね」
去り難そうに振り返りながらそう言ってた。
母親は黙って少し微笑んで聞いていました。

大声で喚く必要なんてない。
こんな風に、家族で話せるように、自然なことと思えるようにしたい。
英霊から連なる今の若者たちに、ボクにできることは惜しまずやらねば、応援せねばと、背中を押されるような気持ちになりました。



長い拙文を最後まで読んで下さってありがとうございました。

今日は一日、マスコミやアジア二国の批判的なことはつぶやいたりせず、ひたすら感謝と祈りの一日とさせていただきました m(_ _)m



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