--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2014
01.01

「あけましておめでとうございます。」

Category: ひとりごと
本年もよろしくお願いします。

nenga2014_s.jpg


Comment:0
2013
12.31

楽描き納め

Category: ひとりごと
IMG_2694.jpg

Comment:0
2013
12.29

「平成二十五年。仕事のまとめと感謝」

Category: ひとりごと
今年も引き続き「シン・エヴァンゲリオン」をメインに知り合いの作品のお手伝いやイラストの仕事をやってきました。

「シン・エヴァ」は「:Q」までをご覧になっている皆さんならお分かりかと思いますが、まったくのオリジナル展開になっています。
その分、シナリオ作りにはこれまで以上の時間がかかっておりお待たせしてしまっています。
ボクが言うのも変ですが、しばらく、しばらくお待ちください(^_^;)

さて、エヴァ以外のアニメの仕事で印象的だったのは
「進撃の巨人」2つ目のエンディングアニメーションへの参加でした。
前半(ミカサが湖の畔を駆けて来るカットからマフラーが解けるまで)を担当しましたが、後半を新井浩一さんがやられるということで大変緊張しました。
おかげで程良い緊張感の中で集中力ある仕事ができたように思います。
この仕事では「絵本のような画面」という演出の山本沙代さんのコンセプトによって通常のセルアニメとは違う方法をとりました。
絵本のような質感を出すために沙代さん指定のデッサン用紙にコンテ(Coute á Paris 2B)で作画しています。
コンテの方は、イラストでいろいろ画材を試していた中で持っていた自前のもの。
新井さんはパソコンを駆使して同様の画面作りをされていて驚きでした。
コンテは消せないので、下書きで動きを作った後はマジック描きか墨絵のような気持ちでバババッと一気に描き進んで行く。作画枚数はボクの部分で200枚くらいだったと思います。結果的に描き損じは2枚でした。
途中でコンテが足らなくなって画材屋さんに行ったらあと2本しかなく全部買ってもまだ足らなくなって制作さんに取り寄せてもらったりしてました。
デッサン用氏も途中で追加してもらい、想定した作業量をはるかに超える仕事になりましたが、おもしろい仕事ではよくあることです。
この頃、本を読むのにゆったり座れる座椅子を買ってたんですが、最初に使ったのが仮眠でした(笑)

ボクとしては「アインザッツ」の挿絵でやっていた鉛筆画のザラッとした質感や、「峰不二子という名の女」のオープニング(ちょっとだけしかやってませんが)の流れにありまして、あれは通常の原画作業で、エッチングのような質感でしたが、「進撃」エンディングは絵本のような質感にシフトして徹底した画面作りになったと思います。
輪郭線がつながっていないので仕上げさんは苦労が多かったと聞きました。ありがとうございましたm(_ _)m

デジタル時代になって高精細で均質な画面(画面の隅々が高精細なため、全体として均質で焦点の定まらない画)になりがちですが「山田くん」「かぐや姫の物語」「虹色ほたる」など、模索すれば個性的で味わいのある画面作りは可能だと思います。

エンディング(オープニング)は短編アニメのような感じで集中できる利点があってとてもおもしろい仕事でした。


今年も様々な方々に支えられて仕事をすることができました。
ありがとうございます。

今年参加したTVアニメでは来年放送されるものもあります。
一つは「キルラキル」、もう一つは…書いて良いのかな?…「スペースダンディ」です。

来年もエヴァ以外でちょいちょい登場予定です。
よろしくお願いします(^o^)/


Comment:1
2013
12.23

ハタビちゃん@天長節・天皇誕生日

Category: ひとりごと
国民の祝日は今日で最後です。
今年一年も、祝日毎にハタビちゃんを描いてきました。
ひとつひとつの祝日に、その意味を調べる度に、日本の歴史文化と出会うことになります。
また来年も今年とは違う気持ちで祝日を迎えることになるでしょう。
できるなら、もっとたくさんの方々と共に。

…↓…追記あり…↓…

IMG_2683.jpg
続きを読む
Comment:0
2013
12.22

「『哲人』から学ぶ」

Category: ひとりごと
藤井 聡氏「政治の哲学」第11回はこれまでの「まとめ」




本文は雑感です。
なのでまずは動画見てくださいね。


先ず確認したいのは
「民主主義」はツールであって、それ自体が正しきものではない。
多数の民意が正しいとは限らない。
(長谷川三千子氏の「民主主義とは何なのか」に詳しい解説あり。)
絶対に正しい解はなく。物事には良い面も悪い面もある。トレードオフ関係。
これらを認識した上で、どうやって「より良い」方向へ持っていくかが、政治経済(や個人の人生)にとって大切なことなのでしょう。

動画を見て聞いて…

・一握りの、真理を見ようとする「哲人」
・大多数の、欲望にまみれてしまう俗人の集合、「大衆」
欲望を志向する大多数にとって都合の悪い真理を排除するため「哲人叩き」が横行する。
・真理を求める「気概」を持つ者が哲人の周囲で「大衆」から守護する。

一握りの「哲人」とその周囲の「気概」とその外側大多数の「大衆」
往々にして社会にはこのような階層ができるのだが
一人ひとりの中にも同様の階層が存在し、誰しも心に「哲人」を持ち得るものなのだ。
この指摘は重要だ。

真理とは?
藤井氏はプラトンを例に取る。
洞窟の壁に映った牛や馬の姿を本物だと思って見てしまうの大多数の者に対して、その中にあって流されず一歩引き、見ていたものが影だったことに気が付くことができる者。影でなく実像の…つまり「真理」に気が付くことができる一握りの存在、真理を伝えようとする存在を「哲人」と呼んだそうだ。
真理とは常に自分に都合が良いとは限らない。むしろそうでないことの方が多いだろう。
ただの岩が角度でもって牛の影に見えることもあり得るわけで、真理を知ってがっかりすることもある。
ガッカリしたくない者は影だけを見つめてその場その時の欲望に溺れ、不安感から逃れ、本物から目をそらそうとする。

欲望を乗り越え、真理を知ろうとすれば、たとえ一時的に失望することがあっても本物を探し出せる可能性も高まるわけです。

欲望と恐怖
でも、一般的には真理を探すことなど簡単ではありません。
一時の快楽を手放すのは恐ろしくもある。
何が正しいのかわからない、その不安、恐怖が、真理を提示しようとする「哲人」的姿勢を阻害し叩き潰そうとする。
その繰り返しが「欲望にまみれた大衆」を作り出す要因になり得るのだろう。
不況や政情不安は格差やストレスによる嫉妬、怨嗟を招き、富裕者叩き、大企業叩き、権力者叩きを呼び起こし、大衆同士にも二項対立を突きつけて(小さな)勝者になろうとし、異論者を排斥して安全地帯=閉塞環境を広げようとし、不安や恐怖を遠ざけようとする。
見えないもの、分からないことから開放し、自分を安心させてくれるものこそが「真理」であると誤解し、思考停止状態に陥っていく。

陰謀論
陰謀論は不安を都合よく説明してくれる上に努力をしない言い訳にもなってくれる(陰謀の存在は結果からしか観測できず、陰謀を発見し努力で回避できるならそれは陰謀ではない。したがって陰謀論を言い続けることで何かを訴えているように自己満足できてしまい、努力、行動をしない自分を容認できてしまう)ので、真理から目を逸らす力が絶大だ。

欲望と恐怖、陰謀論にハマりきってしまうとマインドコントロール状態に近くなり、元に戻れなくなる可能性が極めて高いと言えよう…。
そんな場合は、外圧が必要だと藤井氏は説く。

自分の中の「哲人」
「欲望にまみれ我欲に堕した大衆の一人」が「哲人叩き」の快楽に溺れながら大多数を成し(皆が善行のつもりであるにかかわらず)全体主義を形作ることになってしまう。
かつての欧州のように、「大衆」に「哲人」が押しつぶされ「民主主義の専制(悪しき民主主義)」によって全体主義の悲劇に陥ってしまった歴史的事実がそれを証明している。
自分の中にあるはずの小さな「哲人」に気が付けないまま欲望や恐怖にかられてしまい、同類で多数化して安心し、民意を形成し、もはや省みることもなく、結果として不幸な社会を作ってしまう可能性が極めて高くなるのだろう。

「哲人」的姿勢に近づく とは?
・自分の中の真理を見ようとする「哲人」的な小さな光をどうやって見つけ「哲人」的姿勢を持つか?→様々な情報(人、場所)に触れ、よく見てよく考える。
・欲望、恐怖、嫉妬(感情)に駆られてその小さな「哲人」を叩き潰そうとする情動を抑えられるか?→心地良い情報だけを選んだり、あらかじめ決まった答えに沿う情報ばかり選んでないかよく見てよく考える。
・「哲人」的姿勢を持つ仲間を見つけて社会を形成できるか?→議論と勝ち負け(競技ディベート)を混同しないで高め合う。
・先人、おじいちゃんおばあちゃん、両親、身近な尊敬できる人たち、祭(政)、山や河や田畑の古来からの土木…などなど昔からある知恵や工夫(失敗例も含め)…そのような存在が持つ「哲人」的姿勢をまっすぐに見て受け取ることができるか?→歴史・伝統や文化への関心。
…を意識し続け自らに問い続けることが必要なのではないか。
(個人的には「勘」も大きな割合を占めるのだけど、それに頼るのは危険だと思っている。)

自分の中で、我々が属する小さな社会でも、国政の中でも、国(政官民)全体でも、このような「俗人への陥りやすさ」との戦いが日々繰り広げられていると認識すること。

欲望などに流される「俗人」でなく、「哲人」的(絶対的か、正しいか、でなく真理を見ようとする)姿勢を持つ人々がどれだけ大きな社会を形成できるかによって「民主主義」が適切な機能を発揮できるかどうかが方向付けられ、より多くの人が幸福を感じられる方法を選択できるようになるのではないか。

周囲や政治がそうなってるか以前に、自分どうなのかを問うこと。

「お天道様に対して恥ずかしくないかどうか」
正しさってなんだ?と考えた時、理屈でなく腑に落ちるのはこの言葉だった。
藤井氏も「プラグマティズムの作法」や数々の動画でこの言葉を使っています。
キリスト教圏ではない日本人にとって人道として正しいことを問うときに、この言葉はとても良いと思う。
自分だけの感覚や考えに依存せず、物事を見ようとする…一歩引いてそれが影であることに気が付く…つまり真理を見定めようとする時にも、この言葉はとても良いと思っています。




Comment:0
back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。